東京新聞10/22夕刊の「大波小波」より。句集の題でもある「冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに」を含め「秋空や憂きことも掃くほうき雲」「髪染めてどこか悲しげ祖母の春」など六句紹介されている。〈ランドセル俳人〉が中学生になったとあるが言葉の選択に驚く。「祖母の顔」ならばまだ凡人の域を出ないかも知れないが、「祖母の春」とは心憎い表現だ。この感性、大切に育まれていって欲しい。
「終戦と朝鮮半島 ー 在留邦人の軌跡」毎週水曜日掲載。重いテーマは読むほうも気力が要る。戦争についての記事を読むと戦死した伯父「海軍さん」(祖父は仏壇の伯父にお茶を上げる時にこのように呼んだりしていた。)の事を語る祖父の声が聞こえる。朗々とよく透る声だった。最近、母は思い出しては祖父母の話、伯父の話を繰り返すようになった。先の戦争のことを祖父は「ぐぁんたれ戦争」と言ってたという。六月に介護に帰った時母から何回も聞いた。今になって思い出すのだろう。
お盆の終戦記念日のお昼のサイレン、黙祷、終わって大人たちを見ると涙をそっと拭っていた。特に祖母の涙を毎年見たのが記憶にある。戦死して遺骨もない息子の死をどのようにして受け入れたのだろうか。どのような気持ちでいたのだろうか。海の見える庭に立って夕日に向かい合掌する祖父の姿が忘れられない。祖母は悲しみのどうしようもなさを「骨がむりむり言う」と言っていたらしい。今、母が繰り返しその事を語る。祖父母を通し、母を通し、戦後生まれの私も「戦死」の悲しみが、ほんの一部分ではあるが身体に染み込んでいる気がする、と同時に会ったことのない伯父に対しては距離感がある、悲しいことだがこれもまた真実である。
註:「ぐぁんたれ」の意味は〈くだらない、役に立たない〉の意味ニュアンスだと思うがはっきり分からない。母の世代も使わないのかも知れない。
《詠う》
戦後生まれの私の八月戦死せる子をもつ祖母の悲の花ひらく
伯父それは写真の「海軍さん」だった八月は目が合ったりもした
庭に立ち海に向かいて入りつ日に「海軍さん」に手を合わす祖父
一年を堪え来て八月十五日ただ一日(ひとひ)のみ泣いていた祖母
『好日』2012年10月号より