10月20日(月曜日)、待ちに待った週一度の8コマ漫画(でも先週はお休みだった)。みつえさんの表情はかわいいを超えて愛おしい。この表情を飽かず眺めるとじーんと来る。ペコロスが飲んでいるカウンターに両手を乗せると言うより、やっと届く背の高さが何とも言えない。特に2コマ目、ペコロスに向かって「あんまし飲むなぞ」という顔。顔しか出てないのに踵を上げて背伸びしているようすを想像させる。そして私はどうしてもこの表情に母を重ねてしまう。
11月半ばにまた故郷の母のもとに帰る。介護と言ってもデイサービスに週3回行くし、市から見守り弁当も日に2回配達して貰っているので精神的には余裕もある。それでも何故かイラついたりストレスになる事もある。そのような時は少しでも、みつえさんの言葉、表情が役に立って、あと何年か分からない命であると気づかせてくれるに違いない。そして今生きてる母との時をたっぷり味わいたいと思う。これも「ペコロスの母に会いに行く」の本を読んで強く思うようになった。本を読んでも思ったが、その後何日も経たぬうちに光江様の訃報に接し、思った以上に悲しくて、それまでにも増して強く思うようになった。10月20日の「気配」「生きとけよ」「ワイもな」には、悲しみとともに生きる重さがある。これは何も特別なことではなく、死はあちこちに転がっているのに、人はそのことに慣れることはできない。
「ペコロスの母に会いに行く」にはじまり「続・ペコロスの母に会いに行く」を気がつけばもっと多く書いた気がして調べたら、8回あった。今日のタイトルに最初は(5)としたが数えてみるととびとびに番号を付けているので(8)に書き直した。今までのものは間違いの記録としてそのままにした。ならばとカテゴリーを作ってしまうことにした。思いがけずプレゼントが飛び込んできたの感。最初は続けるつもりはなく書いて気づけば8回目。
「続・ペコロスの母に会いに行く」は毎月曜日、東京新聞朝刊に掲載されています、宣伝しているわけではありませんが(否、宣伝してしまっている)、私はこれが読みたくて東京新聞に変えました。このような読者もいるということを東京新聞のあの方はご存知でしょうか。
今朝のボランティア10月22日(水曜日)
お茶を差し上げると「降るのにご苦労様ね」と声をかけてくださる方がある。「雨が降るのに」ではなくて「降るのに」という含蓄のある言い方。その方の来し方も味わえたような気がした。