13日(月曜日)にハイドン「四季」の楽譜にソロ部分の意味を書き込んだ。「ラップランドの洞穴から嵐のように激しく薄暗い冬がやってくる」とハンネが歌う部分がある。
「ラップランド」? ん? どこかで聞いたことがある。村上春樹の「タイランド」だ。「私のノルウェー人の主人はラップランドの出身でした」「ご存じでしょうが、ラップランドはノルウェーでももっとも北端にある地方です」とタイ人の「ガイド兼運転手」の二ミットが、日本人の医師さつきに話すところがある。
そこに特別に深い意味があるとも思われないが、ラップランドという音が妙に私に響いたのを覚えている。土曜日に読んだばかりだ。偶然ではない!これこそ共時性だ。あまり気乗りせずに読み始めた「タイランド」。村上春樹である以上、何かがあるに違いないとの下心で読み始めるうちに見事にその罠にはまって一気に読んでしまった。
動物的直感でこの文庫本を選び取って借りて来たと言えるのだろうか、起こるべくして起こる、単なる偶然ではないということか、何だか嬉しい。ラップランドは私にとってまったく大した意味を持たないのに、共時性を感じるだけで単純に嬉しい。これって何故なのだろう。
案外(ではない)、内田樹先生の本から、なぜこのようなことをヒトは喜ぶのかなどのヒントが得られるかも知れない。また図書館で内田樹を借りて来よう。