「ペコロスの母に会いに行く」, 変化するにちにち

「ペコロスの母に…」(3)

詩的で静謐
『ペコロスの母に会いに行く』の「みつえさん」はもちろん著者の岡野氏とも面識がない。ならば何故、虫の知らせのように〈書かねば、書かねば〉の衝動があったのだろう。人の〈こころね〉の深さまた著者の感性にたまらなく惹きつけられて(プロの方に失礼ですが)、来月から今購読中の新聞をやめて、漫画の載る東京新聞購読を決めたところだった。享年91という。熊本県天草出身でいらっしゃるから言葉が私の母と似ていたのだろう。母も大正12年生まれの91歳である。
もう一つ申し上げたい。「もうなあーんもしきらんけん」(わが母もこれと同じことをよく言う)にはおそらく、言い過ぎた後悔の念を抱えつつ描かれ書かれたのであろう。しかしそのお陰で、その他大勢の介護に携わっている「ペコロス」たちの自裁の念をどれほど解いてくれることだろう。私もその一人だ。
夜中に4.5回もトイレに立つ母に、夜そんなに一杯水を飲まないで昼間飲むように言うと「水っぐらいで そい言うなえ」と悲しそうだった。その時を思い出すと今もいたたまれなくなる。多くの「ペコロス」たちが同じ思いをしているに違いない。何回トイレに行こうと母は覚えていないのだ、睡眠を邪魔されたくないという自己都合なのだ。特に私は数カ月に一度、ほんの2、3週間しか関わらないのに…。
昨日は投稿した直後だったので訃報には本当に驚いた。寝る前にエッセイも改めて読み直してみた。深く静謐。ああ、ペコロスさんは詩人なのだ。私の色々書いたものが薄っぺらに思える。著者の思いの深さに届こうはずも無いが、それでも今日も書かずにはいられない。