変化するにちにち

2022年3月11日

あの日は公園にあるカフェでボランティアをしていた。ここは大丈夫という妙な安心感があった。津波をテレビで見ていた記憶があるが、そこにテレビはないので誰かのケータイだったのだろう。

3日間、横になって寝るということもせず、テレビの前に座り続けたことを覚えている。被災と言うには憚られるが、テレビを見続けたことで、被災したような体感が入り込んだ。音のないCM、金子みすゞの詩の繰り返し。

帰敬式という言葉を知り築地本願寺で法名を授かった。不敬だけど、あれだけ欲しかった法名も貰ってしまうとどうでもよいように思われ、吹っ切れたように自由になった。

東北の人たちの思いはわかろうはずもないが、11年後の今日一日落ち着かずウロウロ歩き回った。

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新宿コズミック通りのアセビ・馬酔木

早大南門通りの薄色寒桜(名が思い出せず、このブログ内で検索、去年書いていたので見つけた)。ないでんかいでんちわするっ。

桜の枝を妨げないような柵の作り。〈どうぞご随意に!〉と。

ここも含めて何ヶ所かある。