Wordのアプリを10年?使っていながら未だに四苦八苦しています。改行して頭が揃っていない歌も何首かあります。
あちこち弄ってもうまく揃ってくれません。このまま出すことにしました。「好日」では縦書きですが内容は同じです。
書いたのは8月です。なお、読みやすいように改行を多くしました。拙文をお読みいただけると嬉しいです。
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コロナ禍の状況下で
四度目の緊急事態宣言が出ている最中に開催されたオリンピックが終わった。新型コロナウイルス感染者は8月には五千人を越えた。
去年現れた言葉、「自粛」「ステイホーム」「ソーシャルディスタンス」などもすでに聞き慣れた。去年春以来一年半経とうとしているが、状況が改善される気配は感じられない。会えない、話せない、また当たり前のようにあった歌会も自由に持てていない。
『短歌研究』5(「三〇〇歌人新作作品集」)が創刊以来の重版出来だという。このことはむしろ当然のように思える。この閉ざされた状況下で、知りたい読みたいという自然な欲求の現れだろう、コミュニケーションを必要としているのだ。しかも5月号のテーマが「ディスタンス」(7首とエッセイ)、まさに痒いところに手の届くタイトルである。
・黄金のやうな晩年のひととせをコロナで棒にふつたと言はう 馬場 あき子
・まだつかうからだだからと二十回スクワットする春風にすわるように 佐佐木 幸綱
300人の中の馬場あき子一人だけ三十首(巻頭特別作品)である。両者に共通するのは生きるエネルギーだ。馬場の初句が輝いてまさに「黄金」。一方、佐佐木の上句と下句の呼応のゆるさ加減が絶妙だ。
「ディスタンス」に関するエッセイも味わい深い。揶揄、風刺、怒り、悲しみ、深刻な思いなど、歌だけでは表現しきれないもの、この時期の重みがある。現実に直面する三人の歌を挙げる。
①無機質な白き病棟退院後、帰り着いたは我が家にあらず 福井 緑『短歌研究』5
②歌を詠み生き永らえた我が人生舞台を降りぬこれにて終詠 同
③手を取りて寄り添ふこともできぬまま母をひとりで死なしめにけり 高島 裕 『短歌研究』6
④夜ふけて雨風強くなりたれど母をともしてしづかなりけり 同
⑤死へ向かう優先席に座らせて重症ベッドの一つを空ける 犬養楓『短歌研究』7
⑥白衣さえ脱げばどこでも逃げられる 逃げる自由は守られている 同
福井の7首は物語性を持つ。「この身を」「我が子ら」が施設に入れて、「予期だにせざる終着駅」、「終の住処」だと言い、①から②に至る潔さが重い。
③には「コロナ禍の中の老衰死」の註がある。親の死に目に会えない、家に迎え入れての通夜だろうか。今「寄り添」っていることに少し救われる。
⑤、⑥は医者の歌であろう。現場で働く人が、身体も精神もぎりぎりのところであることを見せる。この三人の真実、事実に特にこの時期、つつかれる思いがする。
・カギカッコはずしてやれば日が暮れてあの街こ の街みんな夜の街 俵万智 『短歌』6
初出は東京新聞夕刊(8/31)。去年の夏、感染者数が上がり出して、政府の「夜の街」発言があった。それに関わる一首だ。新宿歌舞伎町などを蔑視する発言と、同じ土俵に上がらず、「夜の街」を日常の風景に引き戻し、発言の意図を跡形なく解体した下句が爽快だ。
緊急事態宣言が延長され、収まりそうにないこの状況下で歌も更に変化するだろう。より深刻なものが増えないように願う。