《2020年のマスク》
俎板の使うことなき裏側を洗うとはいのちふかき人ならむ// (高野公彦先生)
2020年マスクをつけて砂のような煙のような息吐いている//
この春を死無型(しんがた)虚露亡憂医流水(コロナウイルス)と書きて「自粛」を私より消す//
信号を待ちただじっと立つだけの時間は卑屈マスクを外す//
さまざまの形のマスク生まれるはまだ「生きたい」という意思表示//
八月の日差しに混じる祖父の声 戦死した伯父の名が降りそそぐ//
やすらかに眠ってはいない遺髪なし爪なし戦没者万骨の一つ//
八月の千鳥ヶ淵の献花台に若き菊菊菊 整列す//
傷ついてしまった核を隠さない痛みかがやく女(おみな)よ真珠// (伊藤詩織さんへ)
いつの日も目覚めてあれよ足裏の湧泉というちいさな窪み//
さくらさくら ひとひ眺めて夕暮れて身よりはなびら色の息出(い)ず//
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今年4月に届いたまま、上げていませんでした。伊藤詩織さんを詠んだ歌は上句を動かしました。まだまだ動くのですが・・・