全体食は、何十年も前に、偶然(とは思えないが)手にした東洋医学の本で知った。〈いのちぜんたい〉と考えるだけで目の前の、食するものに対していとおしさが生まれる感じがする。
壽官陶苑のこの皿(トースト皿)は、生まれた背景(売店の方ではなく、たまたまそこにいらした事務所の方が教えてくださった)を聞いて買ったもの。
15代沈壽官がご母堂の願いで試行錯誤してこの形に辿り着いた時、母君はすでに亡くなっていたとのことだった。一見地味で迷いながらだったが、触れるたびに皿から伝わるものの心地よさに驚く。これはもう作り手の思いという他はない。
「普段使いこそ上質を」、これに深く納得する。命ぜんたいをいただくので、金柑は種も噛んで味わう。
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