母とともに(介護帰省・鹿児島)

それでも京都で降りて

中野先生はいらっしゃらなくても今回も降りる。そうせずにはいられない。納得できる何かが欲しいのだと思う。

ひららさんが迎えに来てくれて本願寺の聞法会館へ。ここでのお昼は今までずっと同じものだったが、今日は違うもの(と思わされているよう)。

自分で決めたのではなく、〈これにしなさい〉と突き動かされているような感覚。なんだか法事の後の会食(2人だけど)のような気がしてきたのだ。こういうことってあるんだ。。。

ひららさんも同じように感じているのだと伝わってくる。2人で先生の話をしながら穏やかな空気に包まれている。

先生の最後の手書の原稿を見せてもらった。字が思った以上に揺れている。「手を支えといて」と言われたことを聞く。先生の震える手をひららさんが支えていたにしても揺れている。

もう京都で途中下車することはないかもしれない。先生が亡くなったことと、もう一つは母のことがある。

今回は実家ではなくてホテル泊。家で転んだらしく入院している。見舞った次兄から報告を聞いたが、すでに2月は帰省の予定だったし、また自分の目で見ないことには落ち着かない。

実家に行くのではなく、行先は病院、気持ちがまったく違う。歩くのが困難なようだが、一縷の望みは「どごも悪ながっよ(どこも悪くない)、走いもでぐっ(走るのもできる)」と兄に言ったという母の相変わらずの強気の言葉。

本願寺の聞法会館前 ピントが合ってくれない

18時前の広島市