歌う

バビロン捕囚をめぐって

「われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。

われらはそのなかの柳に琴をかけた。われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。

われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「シオンの歌をひとつ歌え」と言った。われらは外国にあって、どうして主の歌を歌えようか。

エルサレムよ、もしもわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。

・・・・・・もしわたしがエルサレムを、わが最高の喜びとしないならば、わが舌を、あごにつかせてください」(詩篇137)(『読む聖書事典』より)

・・・・・

「ベルシャザルの饗宴」では、ほぼ冒頭から「バビロン捕囚」の人たちが歌う上記の、旧約聖書からとった詩が出てくる。

詩はまだ続くが、実はこの続きに深入りしすぎて、〈わからない〉が膨張してしまった。

分からないのはある種当然で、理解しようと思うこと自体が不敬であるという思いもまたある。

「バビロン捕囚」の時代。この時はすでにイスラエルは分裂して、北イスラエル王国は滅び、残っているのは南ユダ王国のみ。

「バビロン捕囚」とは、その南ユダ王国から連れ去られた人たちを指す。第一次バビロン捕囚、第二次バビロン捕囚、第三バビロン捕囚まであるようだ。

最初は一つの疑問(後で出てくる「ヤコブの神」)に端を発し、手当たりしだい本のつまみ食いをしているうちに、さてわたしは何を言いたい?と自分に疑問符を突きつける。

ここまで書いて力尽きた・・・! できれば出直したい。

間違っている箇所が多くあるかもしれないことを予めお断りしておきます。