「『市中の山居』とは元は茶の湯の言葉で、都会の喧噪の中にあって自然に近い、心を落ち着かせる空間を指している」(11/28 東京新聞朝刊)
部屋の隅にちょっとした落ち着きの空間は花でも良いが他にもありそう。
朝、楽譜を静かに眺める。土鍋に昆布を入れて蛍火でだしを取る。こういう些細なことが「市中の山居」では、、、?と極言してみる。
土曜日の穏やかな朝がますます心穏やかに変化するのであった。。。と町田康みたいに巧みに書いてみたい。
その土鍋で大きく輪切りにした大根を煮込む。もちろん皮は剥かない。土鍋だと大根のやわらかさが心地よい。こういうのが豊かな時間。
なぜって?よくわからないが・・・それは〈火〉かも知れない。〈火〉こそは懐かしさの象徴。そして本物の出汁。土鍋での味は口にした途端にふ〜っとゆったりしたイキを生む。
この間まで土瓶があって、それで沸かしたお湯でお茶を飲んでいたが・・・介護帰省している間に夫が割ってくれていた😡
台湾の人に教えてもらった胃袋文化という言葉 。腹を満たして機嫌良いのは誰? なんだか変な終わり方。
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