お屠蘇に触れた詩が、細川護煕氏の『中国詩心を旅する』(文藝春秋)に清澄な言葉で紹介されている。名は文天祥。南宋が滅び、「元帝フビライへの臣従を拒否して刑死、死に臨んで書き残した『正気歌』は藤田東湖、吉田松陰など幕末維新の志士に多大の影響を与えた」(同本より)。
「除夜」 文天祥(1236〜1282)
命は年に随って尽きようとし
身は世とともに忘れられる
もう一度との屠蘇の夢は無く
灯を挑げても夜はまだ半分も終わっていない
命随年欲尽
身与世倶忘
無復屠蘇夢
挑灯夜未央
獄中での作とある。この後、「南宋の滅亡を目撃させるため、元軍は彼を広東まで連行する」。何年も前に、元に仕えることを拒み死を選んだ人としてラジオで聞いた覚えがある、この人だったのだ。
ネット検索して「正気歌」の意味をさっと(さっとでは失礼だけど)眺めた。南宋という亡国を背負い気概溢れる「正気歌」と、家族に思いがいくこの詩の雰囲気の違いに人間というものが滲みでて、すぐには言葉にならない。
連行されるときに詠まれたという、「零丁洋(れいていよう)を過(わた)る」という詩もあります。