白川静先生の漢字の世界

白川静先生の漢字の世界(10月)

白川静 ‏先生@sizukashirakawaより抜粋しています。

10/31
*古代の中国人は、天地の間に充つる気は、すなわち天地の息吹きであり、同時に人の息吹きであり、あの雲となびき、風となって吹きめぐるものが、すなわち天地の生命の姿であると観じた、それで最も重大なことは、この宇宙の根源である気に祈ることにした、その行為を【乞ふ】という。

10/30
*ことばはやはり、過去と未来とをつなぐものでなければならない。ことばの上でも、歴史を回復しなければならない。現在の振幅が、過去の共鳴をよび起す。そしてまた、未来を導き出すのである。

10/27
神の訪れは、夜更けた暗黒のときに、ひそかな「音ずれ」として示されるのである。そのようにひそかに暗示されるものを音という。闇黒とはただ光のない世界というだけでなく「神の音なふ」世界である。

10/25
*【海】とは【晦】、晦冥の地、暗黒の世界の意である。【海】【晦】は【毎】を声符とする字で【毎】とは髪を大きく結いあげた女の姿である。その髪に多くの飾りをつけると【毒】となる。濃厚な、厚化粧の意である。それで【海】とは、光の透徹することのない、重苦しい世界をいう。

10/20
*【風】は鳥形の神と考えられており、四方の方神のもとにそれぞれその風神がおり、固有の神名があった。それは神の使者として、その風土を支配し、風気を定め、風俗を左右した。目に見えぬこの神は、風雲を起こし、草葉におとずれて神のささやきを伝えるものとされていたのである。

10/19
*みそぎは、海辺で行なわれるのがもっとも祓いとして効果があるとされ、山間の祭事にも、「浜下り」したり、また社殿の近くに白沙をもって、潮花を用いたり、すべて清めには塩を用いる習俗を生んだ。

*白馬に乗った殷の祖先の子孫がやってきて、周のお祭りに参加して、一応捕虜になる様子や、抵抗するしぐさをし、なだめられて降伏するという儀礼を献ずる。こういうことが、いわゆる歌舞演劇の一番古い形です。わが国でいうならば、国栖舞・隼人舞のような降伏儀礼が、建国当時の姿を大体残している

*喜びも悲しみも、ときには尽きがたい悔恨をもって、人は過去を背負う。そのような過去との対話の上に現在があり、また未来に連なる。そのひたすらに過去に向かうものが【懐ふ】であり、いくらか未来に連なるものが【憶ふ】である。

*活力ある文化を創造するためには、あまり制限を加えない方がよい。自由に遊ばせるのがよい。遊ぶことによって、自己衝迫が生まれ、新しい世界が開くものである。

10/10
*わが国では、高天原と下界の根の国は高木によって連なっており、その木は高木神とよばれる神であった。伊勢神宮には、丸木に足がかりを削った神梯がある。それがおそらく、天照大神とともにその名のみえる高木神の原型であろう。

10/8
*言語とは、言霊によって攻撃し、また防禦することをいう。[詩 大雅 公劉]は都作りのことを歌う詩で「ここにおいて言々し、ここにおいて語々(ぎょぎょ)す」とあり、都とすべきその地を祓うために、地霊と問答などをする儀礼があったのであろう。

*例えば、病気になったという場合にね、大河の流れの凄まじい姿だとか、海の波打つ姿だとかね。花の咲き乱れる姿だとか、こういうものを文学的に色々美しく歌い上げる。それによってその病気を治すというやり方があるんですよ。これが【賦】の文学。

10/5
*古代の人々にとって、死は再生であった。夜の森に、眼を光らせて出没する鳥獣は、姿をあらわすことを拒否する、霊の化身であった。時を定めて大挙して湖沼を訪れる鳥たちは、故郷を懐かしむ死者たちの、里帰りである。

*身分の高い人はね、特に悪いことをよくやるからね、夢魔がやって来てそれで殺されることがある。この【夢】の中へ【死】という字が入るとね、【薨(こう)】ずる、となる。身分の高いほどそういう霊にタタられて色々悩む訳です。最後には大きないびきとともに死んでしまう。【薨】の音は大きないびき。

10/2
*識られざる神霊の支配する世界に入るためには、最も強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。そのためには、虜囚の首を携えて行くのである。【道】とは、その俘馘の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。

*【遊】という語のうちに、なにか異常なものという意味を含める用義法は、わが国の古代にもあった。貴人たちの行為がすべて【遊ばす】という動詞で表現されるのは、本来敬語法的な表現以上の意味をもつものであったからである。それはもと、神として行為すること、神としての状態にあることを意味した。