変化するにちにち

悲しい時こそ自分に手を当てる

悲しいことがあった、このような質の悲しみは初めて。こういう時こそ自分の手当てをしようと比較的冷静な自分に驚きながら和みのヨーガの〈悲しみのリリース〉というワークをやる。じんわり、本当にじんわりと涙が滲む。固くなっているみぞおちにも手を当て、息を吐いて緩める。

悲しいけど心地好さもある。手放しで喜ばないのと同様に、必要以上に嘆き悲しむこともなく、「今わたしは悲しんでいる」と自分を見る余裕もある(まるでティク・ナット・ハン師のマインドフルネスの呼吸法の世界)。同時にそのように感じている自分がとても愛おしい。

相手を責めることもなくただ事実のみを見つめる。今まで漠然としていたものが気づきになる。そして必要以上に自分を責めない。このようなことが少しずつだけど身につきつつあるのかと思う。

母が亡くなる時もきっと静かに見つめられるだろうという妙な安心感もあって(いざとなったら分からないがそんな気がする)不思議に落ち着いた心地好さもある。