実際は夫の甥とその友人の家族である。楽しいものだった。質より量ということで、個室のような和室で時間も気にせず、4時間たっぷり食(量を)を楽しんだ(と願う)。強烈なキャラではなく、どちらかといえば 「色彩」が薄い? 世代の差なのか終始穏やか。それぞれが7歳の女の子を連れて来ていた。幼稚園の同級生とのこと。
娘のいないわたしはこの可愛いお嬢さんたちと折り紙などで遊んだ。名前を書いてもらったり、読み方の拼音(ピンイン)を書いてもらって発音はこれでいいかと聞いたり、首をたてに振るに振れない、うーんと考え込んでいたけど。佳棋(jia qi)ちゃんと晟颖(sheng ying)ちゃん。
日本はゴミが落ちていない、礼儀正しい、親切だと言っていた。有馬温泉ではホテルの場所が分からず、歩いている人がいなくてオフィスのような所に入って聞いたら、寒いなかコートを着ていないのにホテルまで連れて行ってくれた、感動したと聞いた。
火曜日のあの寒い夜だったのに、東京は暖かい、上海とくらべたら本当に暖かいと喜んでいた。富士山を見るために山梨にも二泊するという。それにしても二週間の旅とは優雅…。
思い出す
甥たち親の世代、兄たちは昔「次の世代のためですから」と一生懸命に頑張っていた。二十数年前、初めて上海に行ったときはショックだった。あまりにも落差が大きすぎた。しかし今思うと「古き良き時代」とよそ者だからかも知れないが思う。映画を見ているような中国独特の町並みが至る所にあった。清朝に迷い込んだような。
人々は温かく、日本人と分かると店ではほぼ「鬼子」と言われたけど(負けずに抗議したもんね!「鬼子」だけはなぜか聞き取れた)言い返すと急に友好的になったりして、基本的にどこに行っても歓迎された。60代で亡くなった義母、羽釜で、竃でご飯を炊いていたおばあさん(義父の母)などいろいろ思い出す。そういえば旧正月、家の軒先に毟った鶏を丸ごと吊るしてあったなぁ。