十二月初め早稲田大学大隈講堂であった短歌のシンポジウム以来、静かに波打ちつづけたものがある。永田氏の、とくに沖縄について語るときの、語り口だと思う、「脳にではなく、皮膚に触れた」からか、いまだに去らない。
そしてそのことをなんとか言葉にしたいと思ってもできず、ほとんど折れまくり状態でここまで来たような…。
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「届く言葉」と「届かない言葉」の「違いは一つだけです」と内田樹は『街場の文体論』で言う。(285頁)
「『届く言葉』には発信者の『届かせたい』という切迫がある。できるだけ多くの人に、できるだけ正確に、自分が言いたいこのことを伝えたい。その必死さが言葉を駆動する。思いがけない射程まで言葉を届かせる」。
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あのときの永田氏そのものだ。訥々と、ほんとうに一言一言、嚙みしめるように考え考えて発したはずの言葉にも疑問を呈しながらの語り口。「『届かせたい』という切迫」が、身体熱として「場」を濃く満たしていた。レジュメ最後の「歌人として『時代に向き合う』とはどういうことか?」の一つ、「沖縄をどのように自己化できるか?」では、自身の二重性をはじめ、さまざまの葛藤を吐露する。
------氏は沖縄についてだいたい次のように語られたと思います------
その二重性は難民問題と同じではないかと思う。気の毒だけど、自分のところに受け入れるのは嫌だと。わたし自身「沖縄を返せ」とかつて歌った。あの思いが本当だと思う。還ってきた今の沖縄の状況を他人事としている。この二重性を今、わたし自身が処理しきれていない。
一つには詠えないなら無理に歌わなくていいという思いがある、もう一方で、歌の力を信じる、何かできることを探したいとの思いも歴然としてある。他人事としておいたら、私って何だったのだろう、アイデンティティの問題が解決できない。なんとか沖縄というものを私自身の身体に取り入れて、自分のこととして詠いたい。
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「まだ沖縄を詠えていない」「処方箋があるわけではない」「結論を出せない」などの言葉に、葛藤、一筋縄では、解決できないものを一生懸命にさらけ出して、問題提起として皆さんに問いかけたいと言う。言葉を発したあとも、これでいいのかと迷い、考え考え「身をよじるように」語る。
「でも僕らはその結論のなさを彼としっかり共有することができる」「『いや、困りました』とか、『ちょっと弱りましたねえ』とか、『なんか結論、でませんねえ』とか言いながら、頭をかいたり、ひげをしごいたり、腕組みをしたりすること。どこかから借り物の結論みたいなのをもってきて、大言壮語しないこと。そういうのは僕らの生活にとって、すごく大事なことなのではないだろうか?」「でも好むと好まざるとにかかわらず、それが僕らの住んでいる世界なのだ。」 (村上春樹『雑文集』41、42頁・新潮社)
-----------力尽き(うまく纏まらずへとへと)、とりあえずここまでに。実際はまだあるのですが、明日に(うまく行けば)します。
「届く言葉」になっていますように!