《 古来より希(まれ)なるものを思わする 佳(よ)き名なでしこジャパンの穂希 》
2011年好日9月号
昨日の澤穂希選手の引退会見を見ていて、彼女の歌を作っていたことを思い出し、アップしてエールにしたいと思った。
穂希という名を知ったとき、杜甫の詩が浮かび、名付けられたご両親の気持ちを想った。70歳「古稀」のもと、「人生七十古来稀」である。 もちろんこの部分しか知らない、しかも「古来稀」を「古来是稀」と勘違いしていたようである。間違いを澤穂希選手に贈るわけには行かない。その部分を改作して冒頭の歌にした。
岩波国語辞典(第六版)では、古来は「『から』を添える必要はないが、近頃はこの形も行われる」とある。苦しいが「古来より」とした。杜甫に《李白に贈る》の詩があるので《澤穂希に贈る》と題した。
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《気がつけば風吹く方へ流されていたという事になりはしないか》
《「誕生日おめでとう」今年この国を体感しているであろうわが子へ》
この二首も同じく2011年9月号にあるので作ったのは6月、7月だろうか。多くの人が言うように、3月11日を機に、わたしも一旦言葉を失った、あがいた。自粛ムードも体感した。いままで何をやっていたんだという思いと、変化、脱皮しなければとの思いで必死だったように思う。
二首目は「わが子へ」ではなく普遍性を持たせようと当時は確か「お前に」としていた気がする。しかし、思うように手元に置いてやれなかった子へ、せめてもの気持ちとして、敢えて「わが子へ」とした。