好日十二月号より
海原をゆるやかにゆくいっそうの白き舟ありわたしはうたう
波打てる太古の海のいかばかり身にあるならむ海を見ている
鳩尾(みぞおち)を上下左右にひらくとき胸にいっしゅん十字架宿る
演奏会の余韻のなかに浮遊する身にひさかたの雨おりてくる
「人体は手つかずの自然」さざなみの光のなかの海を眺める
とみこさんつねおさんゆきこさん洋子姉あたらしいまも会津只見の
「だから何なの」的な(読んでみると今になって気づく)、直したいところが多くある。外と関わりを持たない歌である。最後の会津只見の歌は、このなかで、歌としてはいわゆる「上手くはない」が詠いたかった、この気持ちをなんとか表現したいと思ったものである。
只見の方たちの話し方、人間性(というのだろうか)は温かく、偽りがなく、壁がなく……、一度の出会いであるが忘れがたい何かをいただいたと感じる。
「洋子姉(ようこあね)」は米寿?教育長も町長も「洋子姉」と敬称で呼んでおられて、わが故郷の文化と似ていると親しみを覚えた。東京支社のものが「洋子姉」にいただいたのが、鉛筆と耳掻き、親近感がなければこういうことはできない。人と人とのつながりの極上をいただいたのだ。40年以上前に、好日の会津只見支社があったといことだけで。