竹内敏晴『ことばが劈(ひら)かれるとき』ちくま文庫、が、二週間ほど待ってようやく港区からの相互貸出ということで届いた(木曜日だったか)。新宿区内の図書館にはこの本は無いらしい。
内田樹氏(「樹くん」とはここではどうしても言えない)の『街場の戦争論』で竹内敏晴の名を知り、氏の本ばかり5,6冊かそれ以上読んでいたが、この『ことばが劈(ひら)かれるとき』はとくべつだ。ぱらぱら繰っただけで立ち止まって考えざるを得ない、そして溜息、大変な本に出会ったものだ。
(追記:訂正しなければならない、この本だけではない。借りて、手元にある何冊かの本のどこを開いても、言葉そのものから湯気がたちのぼるように、息があり、目の前にして声を聞いているような感じになる。9月8日)
金曜日新宿に行った帰りに、匂いを嗅いだ気がして、いつもと違うブックオフに行った。あった!私のためにそこにあったのだ。
「会うべき人に会うべきときに会うことのできる力」(『街場の戦争論』189頁)の「人」を「本」に入れ替えて、ああこれも「強烈なご縁」と買った。いつも理由づけしている気がするけど。
奥付は1997年第7刷発行、綺麗で書き込みも全くない。ひとことで、否、行をいくつ重ねてもここにいま私が書ききれるものは何もない、ということだけははっきり書ける。
実際は、本の数行を書き出しては何回も消し、真木悠介氏の「解説」も抜き出しては消ししたが書けなかった。
竹内氏の語り下ろし自伝『レッスンする人』(藤原書店)の「略年譜」によれば、2009年に氏は亡くなっている(享年84)。『「からだ」と「ことば」のレッスン』は予約してもうすぐ一月経つがまだ回って来ない。
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