変化するにちにち

「場」の空気、木曜日夜の合唱

「場」という言葉は、呼吸法「時空」の創案者である帯津良一先生の本で知ったが、「場」を心地好いと感じるからだは確かに緩む。

東久留米まで、木曜日夜、合唱練習に行ってみた。合同練習、オケ合わせで行ったことはあるが、通常の練習(南沢コーラスの練習は週三回で、それぞれが都合の良い日に1,2回出ている。)では初めてだ。駅から線路沿いに歩きながら改めて眺めると、高いビルがない、会場の入り口では立ち止まって周りを眺める、あー、木が多い、一軒家が多い気持ちよい、ふっーとひと息吐いて、いざ出陣!否、陣地ではなく非日常、異空間、合唱はいつだって異空間!

会場に入った瞬間からお風呂上がりのような爽快感、地元の空気感なのだろうか。着ているものも、火曜日の夜の背広・ネクタイではなくTシャツ、ジーンズの出で立ち。ソロ部分を歌う人たちの息も自然で気持ちよい。変な緊張感がない、先生に色々言われても何だか火曜日の朝夜と違う。これって何だろう?高層のない、木の多い土地で息をしている人たちのからだのゆったり感なのだろうか?

緩むと精神も余裕を持つのか、歌っっていて「力が入っている」と気づいたら、脚、胸、肩などを緩め緩めして歌う。一度通しで歌ってもまったく疲れない。そして気持ちよい、出来不出来は別にして。もう一つ!合唱が終わって「一杯やって帰ろ」の友とも久しぶりに会えた。

帰りの電車でゆったり「場」の余韻を味わいながら。駅に着いて、もちろん缶ビールを一本買って帰る。