同窓会(小中学校), 変化するにちにち, 母とともに(介護帰省・鹿児島)

「気づくだけでいいのです」

一つ書こうとすると言葉があふれ出て結局纏められず下書き状態ばかりが増えていく。

「お茶でも飲まない?」の心には応える
火曜日(先週)、合唱が終わってうろうろして夕方になってメールに気づく。「近くで仕事中、お茶でも…終わったら電話します」と突然の連絡、わが友人たちはだいたい皆突然が多い。これはもう行かねば! それにこういう楽しさはそんなに多くはない。

夕食の支度を急ぎ、残りは放り出して2時間ほどの予定で出る。近くの蕎麦屋で一杯やろうと言う。私はビールでつき合う。蕎麦がきが美味しくお代わりしてしまう。夕方のアルコールと4年ぶりの再会の興奮とでよくしゃべる。

約束して会うのと突然に決めるのでは、断然後者がウキウキ楽しい!彼女との出会いは以前住んでいた所にあった自然食品の店。赤字ギリギリでも気合を入れてやっている女性が店を出していた(今は無い)。彼女も私もそこの店の常連だった。離婚を踏み出せずにいた頃、経験者である彼女たち二人が支えてくれた。以来30年に近い、思い出すと際限なく出てくる。要所要所で助けてくれる人たちに出会っていることが不思議、縁というものだろうか…生(いのち、生命と言うべきか)というものが愛おしい。

11:30集合の同窓会
土曜日は今年1回目の中学校の同窓会、14人の参加、体調くずしていた人の回復を待ってのこの時期とのこと。みんなおじさんおばさんになったので集合時間も早めの12:30、それでもまだ早く集まろうと11:30になった。7時頃の解散にやりきれずラーメン食べようと言った人がいた(私です)。お腹いっぱいになってまた桜咲く頃にと別れる。
「無事に帰りました」と律儀にメールで報告する人もあり、中には次回4月の都合悪い日を知らせてくる気の早い人もいる。大声、大笑い、方言丸出しの楽しい1日!来年は故郷での同窓会。山峡の昔の通学路をみんなで歩く案が出ている。

食べるということ(母のこと)
福岡の兄が休みを取って3日間、様子見に実家に帰ってくれて母のブログを久しぶりに見る。母の食べている写真は、赤ちゃんの食べる懸命さと同じく「生きる」に直結していると感じられる。安心すると同時に何だか涙ぐましい。
入院中の兄もコメントを書いてくれている。そして昨日9日、短歌を3首送って来た。言葉が静かになるところまで推敲してある。メールの最後にはいつも「頑張ります」とある。

「気づくだけでいいのです」
昨日夕方ゆっくりお風呂に入っていると突然に涙が出る。身体が緩むとこういうことが起こるのだろう。最近、感情を抑えているのかと自分自身もいとおしくなる。書いて反芻して、そうしていくうちに落ち着く。〈和みのヨーガ〉創立者ガンダーリ松本先生の「気づくだけでいいのです」とはなんと優しい言葉だろう。