「ペコロスの母に会いに行く」, 変化するにちにち

「続・ペコロスの母に会いに行く」⑽

11/3(月曜日)東京新聞朝刊
みつえさんの声を聞けてこその月曜日。「なんば言うか」にちゃんと声が聞こえる。「頭蓋骨ば不思議そうに見ているゆーちゃん」が見つめるのは、生きている時と今この時との落差、形の変わった「母」、同じ人でありながら違う、が、何が違うのかはっきりしない、そのような〈もどかしさ〉ではないだろうか。「気」が感じられない、こちらに伝わらないという不思議を私も幾度も体験してきた。

みつえさんの髪の花は白色だろうか
宮城谷昌光の本で、中国古代の喪の色は白、日本も明治までは白だったと読んだ事がある。長崎ではまだそのような習慣が残っているのだろうか。みつえさんの髪に付けられた花は…見送る側の表現しきれない思いそのもの。そのような思いを花に託して髪に飾るヒトのココロの美しさ哀しさ。

中国での夫の母の葬式では服、靴も白色だった。
黒靴しかない私は白い布を靴につけ、髪にも白い生花を付けた。ハナミズキの白を見る頃になると思い出す。

少し作者の余裕が感じられるゆったりした8コマだ。