村上春樹の本は静かに読みたい。ノーベル賞の結果がどうであれ村上春樹は村上春樹。10年近く前ブックオフで買った『超短編アンソロジー』(ちくま文庫 本間祐 編)という本で2頁に満たぬ短編「牛乳」を見つけた。牛乳を売る人の、嫌な客に対する言葉「泣いて頼まれたって、金の延べ棒を積まれたって」牛乳は売らないと言う生き方は爽快!「へへへへ、」「へへへへへ、」が6回出て、最後は「だんぜん売れませんよ。へへへへへへへ。」で終わる。牛乳を「売れ」ない理由は、売る側の「あんたに牛乳を売りたくない」という「感じ」であって「理屈じゃない」のである。身体感覚である。この本をきっかけに村上作品に取り憑かれた。長編はほとんど読んでいない(途中で止まらなくなるのが怖い)。「イパネマの娘」「四月のある晴れた春の朝、百パーセントの女の子に出会うことについて」はたまらなi.
もう一つ、村上春樹は信頼できる。『文藝春秋』(2009年4月号)を読んでそう感じた。「僕はなぜエルサレムに行ったのか」という題でのインタビューとエルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵」が掲載されている。以前私の所属する『好日』2009年5月号に、『文藝春秋』での村上春樹について書いている.
三分の一程度に縮小して下の・・・間に抜粋しました。お読み下されば幸甚です
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<賞を辞退せよ、との声。それでも伝えたかったこと>の小見出しがある。ガザの空爆が始まり、ウェブ上での受賞辞退を求める動き、友人や親しい編集者の忠告のメールもある中で、行く決断に至るまでの心情を「非常に迷い、深く悩む、考えに考え、腹を決めて」と語り、「常にできるだけポジティブな方を選びたいというのが僕の基本的な姿勢です」「僕としては正論では収まりきらないものを、自分の言葉で訴えたかった」とインタビューで語っている。受賞スピーチでは「来ないことよりは、来ることを選んだ、何も見ないよりは、何かを見ることを選んだ、何もも言わないよりは、皆さんに話しかけることを選んだ。」と語り、スピーチのタイトル「壁と卵」の話になる。「小説を書くときに常に頭の中に留めている」と前置きして更に話を続ける。「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」「もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?」と。[略]このような明確な意思表示、それを明言する村上春樹という小説家を信頼できると思った。氏はインタビューで次のようにも語る「ゲストとして招かれて、いろいろと親切にしてもらいながら、そういう人たちの前でイスラエルについて批判的なメッセージを発しなければならなかったことに対して、つらい思いがありました。僕としてはそっちの方がむしろきつかったです。素直にありがとうというだけですんだらどんなによかっただろうと。」スピーチが終わりエルサレム市長に「あなたの意見は小説家として実に誠実なものだ」と握手を求められ「それは嬉しかった」と氏は言う。
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村上春樹は、浮かれることなく残念がることなく、静かに読みたい。
《詠う》
《長友は誰かに似てるな 一杯のグラス空くまに村上春樹》
サッカー選手長友が主題ではあるが、ん?誰かに似てる? あ!村上春樹と思った去年の今頃の一瞬の出来事。
お読みくださって有り難うございました。