変化するにちにち

夏目坂の大龍寺

昨日の大龍寺で見た像のことが気になって仕方がない。本堂の前にわざわざ碑文まで作るくらいだから、『禅・食と心』にあるかもしれない。

ありました。読みやすくするために改行してあります。

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禅師は斎座(さいざ)(昼食)を終えて回廊を渡っている折、仏殿の前で椎茸を日に干している老いた典座(てんぞ)に目が止まった。

その日は秋口に入ったとはいえ、敷瓦(しきがわら)が焼けるほどに陽差しが強かったが、その老典座は日除けの笠も被(かぶ)らず、杖をつきながらひたすら椎茸を並べていたのである。

汗が額の上を滝のように流れ落ちていても、老典座はいっこうに気に止める気配がない。

鶴のような白く長い眉毛(まゆげ)を垂らし、背中を海老のように丸く曲げて仕事をしているその姿は、禅師にはいかにも苦しそうに見てとれた。

「典座殿は、お幾つになられましょうや」

禅師は近づいて年齢を尋ねると、その典座は腰を曲げたまま手で汗を拭い、留学生の禅師に目をやるとにっこり微笑んだ。

「六十八歳になり申す」

「そのお歳で、このようなきつい作務(さむ)をなさっておられるとは感服いたしました。しかし、ご高齢な身で典座をこなすのは大変なことと察します。できるなら行者(あんじゃ)や人夫をお使いになればよろしいでしょう」

「これは私のつとめ、他人が行っては自分のつとめになりますまい」

「もちろんご老僧の教えを守る態度は、まことにご立派なことでございます。しかし、今はこのように陽差しも強く、もう少し時を待てばしのぎやすくなるでしょう。そうすれば作業も楽になることでしょうし、苦労されることもなくなりましょう」

「ご忠告はありがたいが、いくら陽差しが強いからといって、今をおいて一体いつ椎茸を干す時があるというのかね。陽差しが強いからこそ干しているのじゃよ」

禅師は返す言葉を失った。自分がいかに行為の形にとらわれていたかを改めて知らされたのである。(上田祖峯著『禅・食と心』「道元禅師『典座教訓』の教え」17、18頁より)

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〈森の径〉

移り変わる