トンネルを抜けずにまともな?道、峠の眺めの良いところがある。これもトンネルと共にある思い出の道。朝〈田のかんさあ〉を見たらココロが動いて、夕方、どうしても行きたくなる。
家から自転車だとここまで5分はかからないと思うのだが、小さいころは途轍もなく長かった。
自転車を置いて眺める。家は見えないが踏切から実家へ行く道が見える。橋を二つ渡る母の散歩コースでもある。
遠くに眺めると不思議な感覚、思いがけず懐かしさが溢れ、小さい頃が思われる。
「見る」行為はいったいどれほどの力を持つものなのか、白川静先生の本がますます身近になる。
坂を上がりきると薩摩街道の案内があった。右へ行くと長迫から牛ノ浜駅方面。左へ行くと墓原があり、さらに下ると小学校の上に出られる。
納骨堂に移したので、もう墓はないけど祖父母の墓があったところまで行ってみる。
草の中に墓石が横積みにされて残っている。もしやと草を分けて行くと祖父の名があった。
戦死した伯父の名もなんとか判ったが、祖母の名はどうしてもわからない。
ただの石だと言ってしまえばそのとおりだけど、その石に大切な人の名がある。触れてみる。
野の草を一本手折って供える。
ニンゲントイウイキモノノ、シシャニムカウコウイノアリヨウ、ミズカラヲイヤスモノダロウカ。
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