歌う

カルミナ・ブラーナ(3)「月に陰晴満ち欠けあり」

カルミナ・ブラーナを歌うと楽しい。人生の悲哀、色気、毒もある。毒はタブーを破り、真実を突いて、その時代や社会に倦んだものの解放があるのかもしれない。
それにも増して曲がすごい。乗せてくれる。囃し立て、けしかける。人類共通の「核」がある。

中国では宋代の蘇軾(そしょく)(1037〜1101)の詞、「水調歌頭」の有名な2行がある。

人有悲歓離合     
(人に悲しみ歓び別れ出逢いがあり)
月有陰晴圓缺     

(月に曇り晴れ満ち欠けがある)

むかし、放送大学で中国の作家、巴金の「家」を聞いたとき、この「詞」を知った。詩と違い、詞は節を付けて歌われたらしい。テレサ・テンが「但願人長久」の題で歌っている。日本の、「逢うは別れのはじめ、満つれば欠くる世の習い」の出どころはこの詞だと聞いた(定かではありません)。

YouTubeで、晋友会合唱団のカルミナ・ブラーナの演奏を見た。!暗譜! だ。 ’89年ベルリンフィルで小澤征爾指揮。歌う表情を見るだけで他と一線を画す。音だけ取って聞いてみる。響きはもちろんだが何かが違う。迫力だけではない、声、言葉だけでもない。縦横の諸々を溶かし込んだ表現、暗譜!での身体表現だ。

歌う身体を見る、呼吸を見る、目を見る、「見れど飽かぬかも」と万葉調、いい着地かも。