白川静先生の漢字の世界

白川静先生の漢字の世界(2017年4月)

白川静先生のツイッター@sizukashirakawaより抜粋、転載しています。

4月29日
*【みどり(緑)】若葉のみずみずしいさまより、緑の名となった。幼児を「みどりこ」というのは、そのなごりである。[古文書 一]の大宝戸籍帳に、三歳未満の児を「緑兒」といい、女児を「緑女(みどりめ)」という。【みづ】と同根の語であろうと思われる。

*天智天皇の前の天皇は女帝の斉明ですが、この方が歌を作られた場合に、わざわざ秦(はた)のなにがしを呼んで、わが歌後に伝えて「な忘れしめそ」と、忘れさせないように伝えてほしいと依頼されているんです。当時、我が国の人が直接文筆をとるということがなかったからであろうと思います。

4/23
*故郷とは、故郷を離れて住む者が、その「うぶすな」の地を呼ぶ名である。異郷にある者のみが、この語を用いることができる。それで故郷という語は、つねに郷愁を伴う。

*あの時代に国民がどんな気持ちでおったか。死んで帰ってこいなどと、だれが望むか。*【意】の字形に含まれている【音】は、神の【音なひ】【音づれ】をいう字である。識られざる神の【音なひ】のように、心の深いところからとどめがたい力を以てあらわれてくるものを【意】という。

4/18
*古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。

4/14
*靖国、靖国いうけれどね、人は戦争をどこまで知っておるのかね。ぼくは海軍工廠に学徒動員の生徒を引率していったが、航空母艦からグラマン、あれは太鼓たたくような音をして飛んでくる。すると海軍工廠の将校たちは域外に車で逃走する。生徒が怒って道をふさいだところを、掃射されて教え子が死んだ。

*[詩経]の詩篇からは、叙景詩は生まれなかった。自然を観照の対象として歌うものは、六朝期の謝霊運まで下らなければならない。西洋ではほとんど近代にはいってからのことである。ひとりわが国では、古代歌謡の時代にすぐつづいて、 むしろそれと重なり合いながら、叙景歌が生まれてくる。

*古代の人びとにとって愛情とは何であったろうか。愛情とは、まずたがいに霊の往来が可能であるということであった。それで人びとは自己の霊を相手に与え、また相手の霊をわが身に寄りそえるという表現をもって愛情を確かめあった。魂の授受ということが恋愛の出発点であり、根拠であった。

4/12
*【儒】もと雨請いに犠牲とされる巫祝をいう語であったと思われる。その語がのちには一般化されて巫祝中の特定者を儒とよんだのであろう。それはもと、巫祝のうちでも下層者であったはずで
ある。彼らはおそらく儒家の成立する以前から儒とよばれ、儒家が成立してからもなお儒とよばれていたのであろう。

*私は若年のとき甚だ虚弱であって、兵隊検査のときには丙種合格であった。丙種でも合格というのは「蜻蛉蝶々も鳥のうち」という扱いかたである。それでどこまでやれるかということが、常に私の課題であった。その「どこまで」が、ついに今日に連なっている。

4/10
*【竹】は中空のもので、その空洞のところに神霊が宿るとする信仰などもあって、竹取翁や竹取長者など、竹に関する説話や民俗が多く伝えられている。朝鮮にも新羅に竹葉の護国信仰を伝えるが、三品彰英説によると、それは中国の江南系の信仰と関係があるという。

*【道】をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。人はその保護霊によって守られる一定の生活圏をもつ。その生活圏を外に開くことは、ときには死の危機を招くことをも意味する。道は識られざる霊的な世界、自然をも含むその世界への、人間の挑戦によって開かれるのである。

4月8日
*実在は混沌たるもので、規定することのできないものである。この混沌たるものを無規定的に論ずるとすれば、できるだけ概念化を拒否する方法によるべきである。それで荘子は、その思想を表現するのに、理性的思惟の介入を拒否する寓言を用いた。それは一種の象徴的・詩的な方法であった。

*わが国の【遊部(あそびべ)】は、死者の遊離魂をよび返すことを職掌とする職能者の集団をいう。送葬や招魂の儀礼の際に行なうもので、古代の遊芸は概ねその儀礼から出ている。天若日子の喪屋で八日八夜の【遊び】が行なわれたこと、日本武の送葬歌などにその古い形式がみられる。

4/5
*国語の【うみ】は【居(う)】を語根とし、停滞するもの、漬(ひた)すもの、熟するもの、濃厚なるもの、などの意味がある。四面を海にかこまれているわが国では、海こそ生命をはぐくむもの、生物を養い育てるものであった。急流のような川に対して、海は動かざる、しかも万物の親たるものであった。

*採物(神の憑り代)をもって神を招けば、神はその招きに応じてこれに憑りつくとされた。そしてその神を楽しませ、再び送りかえすのが、古い時代の祭祀の形式であった。神が女神であるときには、その神は遊女とよばれた。

*ともかく、生きることは一種の【狂】である。一生を終えるまで書物の中で遊んでくらすのは、一生幼稚園で遊んでいるのと、ほぼ同じである。これも一種の【狂】であろう。おそらく人は、みずから自覚しないうちに、いくたびか【狂】の世界に出入しているのであろう。

4月4日
*世が乱れてまいりますと、あまりはっきりと作者が名告って批判をするということができなくなります。そういう時代に、童謡が生まれた…この【童】というのは、強制労働に服している、いわばなかば奴隷に近いような人々であります。

4月3日
*鳥獣の類もみな神性の化身であり、狩することはその神霊と交わることであるから、狩猟をも【遊】という。

*【桑】は神木であり、神々は多くその空洞から生まれた。