白川静先生の漢字の世界

白川静先生の漢字の世界(12月)

白川静先生のツイッター@sizukashirakawaより抜粋しています。

12/31
*古代の人々にとって、死は再生であった。夜の森に、眼を光らせて出没する鳥獣は、姿をあらわすことを拒否する、霊の化身であった。時を定めて大挙して湖沼を訪れる鳥たちは、故郷を懐かしむ死者たちの、里帰りである。

【いのち(命)】「生の靈(いのち)」の意であろう。【い】は【生き】【息吹き】の【い】。生命の直接的なあかしの息吹きを以て、生命の義とする。それは各民族語の間で共通する概念で、spiritやanimalはみな「いきをするもの」を意味した。

*あのおろかしい戦争のるつぼの中に、すべてが消えていった。アジア的あるいは東洋的という名で考えられていた文化概念、価値概念は、まったく虚しいものとなった。すべてが失われたなかに、救いというべきものが、ただ一つだけ残されていた。それは漢字を通じての、一縷のつながりであった。

12/29
*歌が個人の詠懐的な、自己内面の世界にとじこもる以前には、歌うこと、それに表現を与えることに何らかの呪的な性格を伴うのが、つねであった。

12/25
*【荒】死者の象で、その残骨になお髪の存する形。そのような屍体が草間に棄てられているところを荒野といい、そのような饑饉の状態を凶荒という。すべて生気を失い、秩序を失った状態が【荒】である。それはすべて【散(あら)く】ことによって生ずるのである。

*一般に【右】を正として尊び、【左】を邪は悪として卑しむ観念をもつ民族が多く、わが国の左右の観念はやや異例に属する。あるいは【ひだり】は日出と関係のある語で、日神の崇拝に連なるものであったかも知れない。

12/22
*周の時代になりますと、王室の后は必ず川べりに機織殿(はたおりどの)を作って、その周辺に桑を育てて蚕を飼います。その習俗は今もわが国の皇室に受け継がれているのです。三千数百年にわたって、そういう親蚕(しんさん)の礼というものが行なわれている。

12/21
*【さけ(酒)】古くは【さか】または【き】といった。おそらくもと【さかみ】といい、【さきほふ】力をもつ水の意で、その【さかみ】を略した語であろう。【さけ】というのも古い語であるが【き】というのは祭事など特定のときのよびかたであろう。それでまた【みき】という。

12/19
*【詠】音符は永。永は水の流れが合流して、その水脈の長いことをいう。強く長く声をのばして詩歌を歌いあげることを詠といい【うたう】の意味となる。また「詩歌を作る、よむ」の意味に用いる。わが国で、声を長く引き節をつけて詩歌を歌うことを【詠(なが)む】というのも、その意味であろう。

12/16
*地上におる神さまはね、大体これ、ヘビです。これに「しめすへん」を付けるとね、祭祀の【祀】になる。

12/14
*ともかく、生きることは一種の【狂】である。一生を終えるまで書物の中で遊んでくらすのは、一生幼稚園で遊んでいるのと、ほぼ同じである。これも一種の【狂】であろう。おそらく人は、みずから自覚しないうちに、いくたびか【狂】の世界に出入しているのであろう。

12/13
*【くるう】という言葉は「くるくる回る」という場合の【くる】ね、あの「くるくる」と同じ語源で、獣が時に自分の尻尾を追い掛けるようにしてくるくると回ったりしますね、ああいう理解できん動作をする、それが【くるう】なんです。

12/9
*自然の姿が古代の人々にとってしばしば象徴でありうるのは、自然の存在が生命的なものとして、人と同じ次元のものであるとする考えかたがあったからであろう。「吹き棄つる氣噴の狭霧」から新しい生命が生まれてくるように、人もまた「おきその風の霧」となって顕ちあらわれることができたのであった。

*【みどり(緑)】若葉のみずみずしいさまより、緑の名となった。幼児を「みどりこ」というのは、そのなごりである。[古文書 一]の大宝戸籍帳に、三歳未満の児を「緑兒」といい、女児を「緑女(みどりめ)」という。【みづ】と同根の語であろうと思われる。

12/8
*【遊】という語のうちに、なにか異常なものという意味を含める用義法は、わが国の古代にもあった。貴人たちの行為がすべて【遊ばす】という動詞で表現されるのは、本来敬語法的な表現以上の意味をもつものであったからである。それはもと、神として行為すること、神としての状態にあることを意味した。

12/5
*地上と高天原を連ねる梯は、高木の神のように神格化された木であった。神は柱で示されたので一柱二柱という。天上には神々がおり、地は天に対して存在する。それで神の降り立つところには獣を犠牲として供え、社を設けた。高梯と犠牲と社と、この三者を組み合わせたものが【墜】すなわち【地】である。

*みそぎは、海辺で行なわれるのがもっとも祓いとして効果があるとされ、山間の祭事にも、「浜下り」したり、また社殿の近くに白沙をもって、潮花を用いたり、すべて清めには塩を用いる習俗を生んだ。

12/3
*【儒】もと雨請いに犠牲とされる巫祝をいう語であったと思われる。その語がのちには一般化されて巫祝中の特定者を儒とよんだのであろう。それはもと、巫祝のうちでも下層者であったはずである。彼らはおそらく儒家の成立する以前から儒とよばれ、儒家が成立してからもなお儒とよばれていたのであろう。

*日本の陰陽道と同じことが、大体ヨーロッパで十六、七世紀くらいまであるんです。王さまでも呪いをかけられるとね、十字架を付けた室の中に籠って隠れるというようなことをやるんですよ。

12/1
*かつて東洋は、一つの理念に生きた。東洋的というのは、力よりも徳を、外よりも内を、争うことよりも和を、自然を外的な物質と見ず、人と同じ次元の生命体として見る精神である。