歌を聞きながら、正確には歌しか聞いていないのに、踊っているような感覚。本来歌うとはこういうことなのかもしれない。終わってから解説等を読んだのだが、イメージしたことの重なりが多く、表現力の確かさを実感。(これは「無限へのまなざし」の1週間前に行われたものです)
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カラダがシンクロするとは内田樹氏の本で読んで、知識としてはあっても、体感してそのエネルギーの心地よさたるや!芸術の立体空間に身を置いて、終わってゆるゆる、すっかり緩んだカラダ。
人が人によって緩むとはなんと凄いことだろう。米山文明呼吸と発声研究所の米山章子先生が「彼女の歌を聞くとね、食欲が出るのよ」とおっしゃるのを聞いたことがある。「呼吸が自然で楽なの」と。今回その意味を実体験した。「呼吸するように歌う」坂本知亜紀の本物の上質、超絶したなにものか、だ。
アンコールは不思議空間だった。早口言葉(ではなかったらしい)、笑う、泣く、歌う、あらゆる声(音)の可能性の表現、人の声の不思議空間、極上のエンターテイメント、「魂を揺さぶる」芸術の、表現の世界の豊饒の「時光」。
書こうと試みること自体野暮というもの、ならば感じたことのみを書きなぐるしかない……あ、村上光照老師の時もこうだったと思いながら…書いては消し…。繰り返し思い出してはその衝撃を新しく味わうというような一週間だった。
「無限へのまなざし」に漠然とした宇宙の無限だけでなく、声の無限、カラダの無限、「楽器としてのカラダ」のこれからがより膨らんだように思える。
〈無限へのまなざし坂本知亜紀ソプラノリサイタル〉
2016 5/22日(日)、サントリーホール小ホール(ブルーローズ)