まだまだ歌えていないということを考えすぎて、早くうまくなりたいと思いすぎて何年もきた。
體が悲鳴をあげているのか、この焦りを修正せよと、どこからか私に入り込んできた。
続けることと切り捨ててもよいことが、より鮮明に感じられる。こういうことが、どこから? ふっと今日やって来た。
思ったように歌えないということまでも楽しんで、日々変化する声を、気づきを(本当に日々変化するの感)いとおしみ、見つめていける気がする。わずかだが何かが鮮やかに変化した。
昔よく(でもないが)やったあのボーリングの、大きく重いボールが(を)丹田に宿り・宿しつつある、と感じる。
去年のレッスンの声を、今、聞いてみる。こんなにヘンな声を出していたのか。
今のレッスンの声を、来年、聞いたら、同じようなことを思うだろうか。
声の不思議、身体の不思議。
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