「声を出す間もなく津波にのまれて行った人々の想(おも)いは、今どこにあるのか」(12日東京新聞朝刊)。「忘れてはならない日々」の題で伊集院静氏が、仙台市での当時と今を書いている。溢れでるものを受け取りながら読む。また2012年の掲載という「わかって欲しい。」のメッセージも再掲載されている。静謐で詩である。
東北の町の、村の、里のどこかで、
昨日、ようやく帰ってきた人の通夜があり、
今日はその人の葬儀に並ぶ人がある。
明日も誰かの月命日がある。
そう、北の地では毎朝、毎夕、どこかで祈りを
捧げている人がいる。
そうして三千余人のまだ帰らぬ人たちを待つ人が、
同じように祈っている。
その上、町を去らねばならぬ人がいて、見送る人がいる。
どちらも泣きながら互いのしあわせを祈っている。
復興だ。一年が経つと、テレビ、新聞、雑誌は言うけれど、
この祈り続けている人たちのことをもう少しわかって欲しい。
同情が欲しいんでは決してない。この震災がまだ続いていること
をあなたたちにもわかっておいて欲しいのだ。
作家の私が、この人たちに言えることは、
悲しみはいつか終る時が来る。
そうして笑える日が必ず来る。という言葉だけだ。
どうか、わかって欲しい。
同朝刊の「表現者はどう向き合ったか」では鴻池朋子(こうのいけ・ともこ、現代アーティストと紹介されている)という人の言葉、「それまでの自分の作品さえ空々しく 見えてきました。地震とともに五感がさえ、体内が変容し始めたんです」に、まだ十分に、あのときからを表現し得ていない私は、これだったんだと頷く。
2011年3月12日朝、テレビかラジオが「千体が漂着しています」と言った。
「千体」、こんなに早く「千体」と言うのか、昨日まで生きていたんだ。「千体」という言葉と同時にあのときの震え、怒りのようなものも思い出す。
鴻池朋子氏の言葉より
「あの震災の体験は、私たち人間の存在を一から考え直す分岐点だったと思います。そして、いかに困難であっても、今までとは違う思考の手だてを模索することが表現者の仕事です」
今日は父の、そして歌友野口明美の祥月命日。