変化するにちにち

3月11日*思い新たに(2016年)

あの日も金曜日だったことを今思い出した。高田馬場近くの公園の中の建物。一階にいたのでゆっくり公園に出た。 大地も木も揺れているのが現実でないような感覚だった。

帰ったら台所には落ちたものが散乱(ほとんどが食器類だった)していて靴を履いたまま入った。倒れても良いものは台所に置いていたので、畳の部屋は何事もなかった。

三日間CMのないテレビはつけたまま、布団は敷かず、昼も夜もなく正座してテレビの前にいたような気がする。よくは覚えていない。何を食べていたのだろう。この三日間の、そしてその後の「自粛」ムードの異様な、ものを言い難い怖いような空気感を体験した。

それまでの言葉を失った。言葉を探した。新聞、本などを貪った。自分で探せない言葉を誰かが書いてくれているとその言葉を反芻して、そして落ち着いていった気がする。新聞の谷川俊太郎の詩(毎週載ったような気がする)が力になった。言葉が力になると初めて体感したのかもしれない。

変化したい、脱皮しなければと必死だったはずが、いつ頃からだろうか、「変化する」が緩慢になっている。3月11日を境に変わったと感じていたころの自分を、ふたたびじっくり見つめるときと今日思いを新たにする。