変化するにちにち

重陽節「登高」なぜ高きに登る

それに答えてくれたのが白川静。『初期万葉論』(中公文庫)、『詩経』(中公新書)である。

「登高」という言葉にずっと惹かれていた。
王維(おうい)の詩「九月九日山東兄弟を憶(おも)う」は、高いところに登り、故郷を憶ってうたう、心打たれる詩だ。杜甫も「登高」の題で作っている。
重陽節にかかわらず、高きに登ることが、高みを目指すというふうに自分のなかで勝手につながって、字に、響きに魅了される。しかしなぜ高いところに登るのか、ずっと疑問に思っていた。何冊かの本を調べても分からなかった。

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「登高飲酒は、のちには重陽の節句に菊酒を酌んで命を延べる民俗となったが、古くは故郷を離れたものの魂振りの行為であった。この場合、高きに登るのは遠く譫望(せんぼう)するためである。わが思う人のあるところをその視界に収めることが、『譫(み)る』ことの呪的な力をはたらかせる方法であった」(『初期万葉論』20頁)。

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『万葉集』『詩経』を比較しながら論じる白川静の、冒頭に挙げた二冊は、今までピンと来ることのなかった歌が、人の営みとして切迫してくる。「見る」「見れど飽かぬ」、魂振りの行為としての「若菜摘み」など、徹底して詳細、丁寧に解説されていて、古人が立ち上がってきて感動的である。
お薦めです。