今、自分に起こっていることを良い悪いとすぐに判断しないで見つめる。これは「和みのヨーガ」のガンダーリ先生の言葉。雨で寒いせいか、短歌の締切日でいつもと違い自分に強く(強すぎ!)向き合ったせいか、高校生の頃、母の罵声の中にいていつも身体中が痛かったことを思い出す。
去年ゲシュタルト療法を何回か受けてほぼ解決したと思っていた。それは早合点、40年以上の長い時間そのままだった身体が一気に変化すること自体に無理あり!だ。介護にまた帰るのかと思うと身体が拒絶する感覚、一方でこの思いも長く続かないことも分かっている、このような日もあるのだと見ていられる。
最良の薬
高校生の多感な頃は特有の精神状態なのだろうか。身体中が痛かったのだが、何故と考えた事はなかった気がする。でも救いの神もある。苦しいと感じながら授業中も我慢をしていたとき数学の先生が具合悪いのを察してくださり保健室に行った。吐いてしまうので先生が父に電話してくださった。その時の保健室での先生や保健師さんのやりとりの心地好い雰囲気は何となく覚えている。
父が迎えに来て病院へ車で行った、急性盲腸炎と言われた。手術はしなかった。覚えているのは帰り着いたらけろっと何事もなかったように爽快だったことだけ。今思えば最良の薬は、先生が気づいてくれたこと、大人の言葉のやりとりの温もり、父が迎えに来てくれたことなど、自分のために真剣になってくれていることを感じ取れたことだったのだと思う。
子どもにストレスを与えましたか?
盲腸炎とストレスと何故結びつくのか私の中でははっきりしている。子どもが盲腸をこじらせて手術する時、子どもにストレスを与えたか否かを医師に聞かれたことがある、30年ほど前だ。お盆で実家に帰っている時だった。誤診で盲腸をこじらせて、救急車で行った大学病院も手に負えず医師会病院を紹介された。「お母さん、子どもに何かストレスになるようなことをしましたか?」とストレートな言葉。この先生なら助かる!大丈夫と思わせる顔の、温かい先生だったなぁ。高校生の時の盲腸炎と、子の入院で医者に言われた「何かストレスを与えましたか」はいつもセットになって思い出される。
気づけば好転
気づくだけでいいのですとガンダーリ先生はいつもおっしゃる。
重苦しい1日だったが何とか原稿は書き上げて当日消印有効(とは書いてないが)の速達で滑り込みセーフ。明日はボイトレ、天気が良ければ都庁近くまで歩いて行こう。と書いたところですでに心は好転している!