母とともに(鹿児島)

土鍋/大いなるもの/祖父

本物にこころ落ち着く
少し涼しいのでここ何日か土鍋で味噌汁を作る。昆布と椎茸の出汁と麦味噌。やはり故郷の味。良い素材はどうしてこんなにゆったりとした落ち着きを与えるのかといつも不思議に思う。一口含むと「ふぅ~っッ。。。」と自然に肩の力が抜けていく。一息つくとは正にこの様なこと、すぐさま身体が反応する。

これは炊飯用の真っ白(だった)の土鍋。「真っ黒くなるまで使い込んでください」と本に書いてあった。もう十数年使って内側は黒っぽくなっている。土鍋特有のザラザラ感がなく洗っていて気持ち良い、 ツルツルとしていて程よく重く、「お茶碗を洗う様な感じ」で手の柔らかさに馴染む。

柔らかなカバー、自然な紙の素朴さに惹かれ図書館でたまたま手に取ったのが『マクロビオティックのお買い物』奥津典子(当時20代前半?)だった。そこでこの土鍋を知った。

当時は販売元の近くに住んでいたので自転車で買いに行って、感心されて?「消費税は要らないわ!これも差し上げる!」と料理の本までいただきルンルン自転車漕いで帰った事を覚えている。一度壊して買い足した二度目の蓋はすでにひびが入っているが、わが愛する器のひとつ。マクロビオティックを実践してはいないが時々外れながらも時々近づく。

マクロビオティックを知って助けられたのは宗教についての久司道夫氏の解説、特に世界三大宗教のシンボルの解説、元は同じと言う立場そして「食を通して世界平和」の考え方。何十年間の重しが取れた気がした。

私は鹿児島の山峡に生まれ育った。江戸時代に薩摩藩には念仏禁止令があり、「隠れ念仏」としてわが祖たちは隠れて仏様を拝んでいたという(小さい頃よく聞かされたけど何の事か理解出来なかった)。その子孫である。母方の祖父は筋金入りで、行けば必ず「ほとけさま」の話を一日中聞かされた(気がする)(それ以外はあまり思い出せない)。

祖父の家では起きると先ずお経をあげてから朝ご飯。門前の小僧ではないが、「あ、もうすぐご飯!」と分かるぐらいにお経の最後の部分は覚えた。文化として身体に入り込んだ宗教に「私は何もの?」をいつも抱え込んでいた。 今は、神=仏=宇宙の更にその先の「大いなるもの」と思うに至った。帯津三敬病院の帯津良一先生は「虚空」とおっしゃる。

ようやく何ものからも解放されて自然の中で「生かされている」を体感として味わえる様になった。
趣味としての合唱でオーケストラ付きで歌っている。西洋音楽では〈神〉〈キリスト〉は避けて通れない。最初のころ感じていた〈キリスト〉〈神〉など異文化への違和感も「大いなるもの」「虚空」「元は一つ」などの言葉により和らいだ。

〈土鍋〉が転じて〈大いなるもの〉に来てしまった…..。 が、どの様に「生きる」、どの様に「食する」は分かてないものとしてわたしには在る。
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《詠う》
《わが編みしマフラー温しと喜びて祖父は故郷を離れゆきしが》
歌集『潮は胸の辺りまで』より

祖父は88歳で息子の住む宮崎へ、そして2年後90歳で亡くなった。「親鸞聖人の年90までは何としてでも生きる」と繰り返し声にしていた。そして90歳で風呂場で足を滑らせ一週間後亡くなった。享年90。亡くなるまで合掌し「南無阿弥陀仏」を称えていたと母は言う。