変化するにちにち, 母とともに(介護帰省・鹿児島)

「和みのヨーガ」すべては母から始まった

身体が緩み~わたし全体が変化する

母と周囲への怒り→介護者の集まり→斎藤学氏の本→「和みのヨーガ」/心と身体同時にアプローチ/さまざまのセラピー

今年2月、脳卒中で入院した母に付き添うため故郷に帰り、ひと月ほど病院に寝泊まり介護をした。全てが初めての体験。同じ病院で二回カウンセリングを受けた。

初めて受けた時は嗚咽になり、止まらず、自分でも驚いた。しかしカウンセリングを受けても母へ周囲へ怒りを手放す事ができず、ストレスを溜め込んで東京に帰って来た。帰って来て呼吸が苦しく三日間は息を意識的に吐いて吐いて吐き続けた。

介護者サポートの為の集まりを区報で知り行ってみた。私と同じ様に一言ふたこと話し出した途端に嗚咽する人もいた。たまたま隣に居合わせた髪の長い「自由な精神の持ち主」といった風貌の男性が、斎藤学の本があると教えて下さった。氏の本を探しに行った図書館で出会ったのが『和風ヨーガ』ガンダーリ松本著書 講談社+α新書だった。

カウンセラーに話を聞いてもらう、勿論これはこれで役に立つ(表現が十分でないかも知れない)が、身体・こころ(そして脳の三つだと思う)の両方に同時にアプローチすると体感を通して変化を感じられる。「来たいと思っている人に勇気を出して来て欲しい」とのガンダーリ松本氏の言葉には、全て見通されている、多くを内包していると感じた。

勇気を得て行ったのが、脳と身体をつなぐ(とガンダーリ先生はおっしゃる)「和みのヨーガ」。そして大きな変化がここから始まった。
それまで硬くなって出番を待っていた五感が、時を得て、人を得て花開いて行く過程を味わい楽しみつつここまで来た。

今ならば分かる。病室でのひと月をどれほど頑張りすぎていたかが、母の悪態、罵声も無理して頑張る私の嫌な(恐らく)雰囲気への抵抗だったのではと。「頑張る」は時と場合によっては本人にも周りにも不利な影響を与えるものだと思う。

ガンダーリ松本先生に「和みセラピー」を一回、Aさんにゲシュタルト療法を三回受けて六月、まだ勇気と不安綯い交ぜの中、故郷の母のもとへ介護に帰った。帰った実家で劇的(私にとって)な変化を、心地好い雰囲気、介護の実りまで味わうことになった。
(少し具体性に欠けるが、今は集中力にも欠けて続行できず…….。
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そして先週、亡くなる直前の「みつえさん」とも出逢う/予約待ちが多く図書館からようやく借りられたのが先週。『ペコロスの母に会いに行く』を通し、より客観的に母を見られるようになったと思う(希望)。これもすべて二月に帰った時の母から始まっている。 感謝。