変化するにちにち

映画のあとで思うこと

⬆️線路沿いの映画館

「ちゃわんやのはなし〜四百年の旅人〜」をようやく見に行けた。東中野のポレポレ座まで。

見終わって、日々使っている沈壽官窯のパン皿(パンではないものをのせている)が、手に触れるとなぜ心地よいのかがわかる気がした。

9:50からの上映後に監督の舞台挨拶があると館内に書いてある。サイン会まであったが、パンフレットを持って来る発想はなく家に置いて来た、残念。

15代の沈壽官を主にしたドキュメンタリーだが押し付けがましくなく自然体、こんな風に撮れるのだと監督の内面を垣間見る思い。

玉山神社のラストシーンが日常の一部分で自然でよかった。「奇跡的に黄色い蝶々が舞い降りてラストシーンに起用した」と数日前に読んだパンフレットに書いてあったので、幻想的になるのかと想像していたが見事裏切ってくれた。

そのラストシーンは15代が紋黄蝶を指して語るときの「こころ」、むかしの人にとってはきっと当たり前であったろう感受の仕方、いま大切なものを失くしかけていることに気づかされた。

玉山神社、行ったなぁ、いもうとと茶畑を縫って。その日、陶苑の店内に15代がいらっしゃり、いもうとにも私にも和紙に器の名を一筆書いてくださり、写真までOK、いもうとと3人で収まった。

14代がご存命ならこの映画をどんなに喜ばれたことだろう…。

ふた昔もっと前、司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』を朗読したくて作品を短くした。削って削って、(きっと乱暴に)継ぎ接ぎした。

当時、迷いながら掬い上げた部分が2ヶ所映画に出てきた。同じところに感動する人に出会えた嬉しさと安堵感があった。

壽官陶苑には帰省した折に4、5回行ったがまた行きたくなった。

⬆️東中野

⬆️帰りの〈森の径〉