変化するにちにち

風景≠景観

生まれて初めて(?)見る裏街道は桃源郷。信号のない道、昔分校のあったところ、尾崎、鶴川内を抜けて野田郷へ連れて行ってもらう。地名は知っていても東西南北はさっぱりだがいいところだ。畑、たんぼ、稲を掛け干ししてある。小さいころは当たり前だった風景を珍しがるのも、考えてみるとなんだかかなしい。

自転車でえっちらおっちら走るのもいいかも。自転車だと怪しまれる心配もない。去年、牛の浜駅の裏の頼山陽の詩碑を見たくて、道を聞こうとしたら、訪問販売と間違えられて、「うちは結構です!」と言われた…。

出水市に入るまで信号は一つもなかった。写真も撮らずに浸りきる。帰りにゆっくり走ってもらって1,2枚、どうしても撮りたかった。スコットランドで見た風景だ。行けども行けども風景として、この丸いもの(何と呼ぶのか知らない)があった。

「牛に食わすっと」と友。ああ、そうだったのか。とすると、スコットランドでは羊に食べさせるものだったのだろうか。哀感ただよう美しさ。田舎育ちはこのような風景に心落ち着く。このようなところで育った誇りでもある。

「景観を軽んじることはできません。人間の心も身体も景観によって作られているからです」(『街場の戦争論』39頁、内田樹著、ミシマ社)の言葉がひときわ沁み入る。風景に身体がとろける。⬇️

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ランチを一緒にしたが食後、身体に堪える。あらためて「味彩ママちゃん」の料理の自然さに気づく、彼女のプロとしての誠実さと誇りだ。冷凍食品、化学調味料も一切使わぬものの身体への負担のなさを思う。東京にいればおそらくは何も感じないで食べるのだろうが、ここで自然のものを摂っていると身体がより敏感に反応していることが分かる。