変化するにちにち

ゴーギャン「マンゴーをもつ女」

ゴーギャン「マンゴーをもつ女」の栞が出てきた。押入れの掃除(いや、探し物)をしていた時だ。本の絵を剥がして自分で作ったもの。20、30年は経つのかも知れない。20代でかなり傾倒したモームの、『月と六ペンス』の感動がゴーギャンの絵にはまるきっかけだった。ゴーギャンのタヒチの絵は桃源郷のようにも思えた。

そのころ古本屋で買ったのだろう、写真ではなく、絵を貼り付けてあるのが気に入った。フランス語だけの全く何が書いてあるのか解らなかったが、絵を見ていればよかった。当時安くはなかったのに買ってしまった記憶がある。

どうせ読めないフランス語は無意味と、その絵を剥がして糊付け、栞に変えてしまった。勿体なくもないが、日常が豊かだった。

それが昨日出てきて、ヘッダー画像にとアップした。10回以上試したが上手くいかず、小さく斜めに撮って、ようやくゴーサインを出せる!と思ったが、きわどくエロチック!表情も角度によってこんなにも違うのか…。さすがにこれはまずいと今朝また撮り直した。しかしこの距離感のある眼差し、憂いを帯びて虚ろ。

「われら何処より来るや……」と題(絵より題に惹かれた)する絵は、栞の裏に使っている。よくよく考えるとなんと贅沢な!である。モームに没頭していた時期は過ぎても、ゴーギャンのタヒチの絵はいつもあった。

《詠う》《「マンゴーを抱く女」唇といい目といいタヒチは豊かなるらし》

思い出した! その頃の歌だ。物理的には大変でありながら、精神の「豊かさ」を味わっていた離婚後のあの頃と、このタヒチが一致していた時を。「持つ」を「抱く」にしたのは、単に字足らずになるからだけではなく「抱く」が内面性を表し得る感じがしたからだ。

そして昨日ふたたび出会って、あのころの時空の豊かさのなか、にある。