変化するにちにち, 歌う

♢嬉しいふたつ・歌と芽キャベツ♢

兄からのメール1/29(木曜日)
癌細胞を友として今までどおり夢に向かって更に一歩という内容の歌1首を送って来た。新聞に投稿するかもしれないので(?)念のためここにはまだ書けないが、去年より推敲もできているし何より思いが伝わる表現になって来ている。ここ何年かこっそり作って来たらしく、実家に去年12月に帰っていた時も何首も送ってきたがどう批評したものか悩ませる言葉の羅列だった(もちろん自分のことは棚にあげています)。今日の1首は思いが伝わるものだった。そのこと以上にメールが来て安心した。つくば市にある病院で陽子線治療を始めるという。
そう言えばむかし叔父も、5文字がどうしても言葉が出てこないと助け舟を求めて来たことがあった、第一歌集を出したばかりの頃だ。私が新幹線に乗り換える時間に合わせて博多駅に来た義叔母と従姉妹が叔父のメモ書きのような歌を持ってきた。31文字の中の5文字は空欄のままだった。叔父の思いを聞いていくつか提案したら、「父に似る」が入って次のように出来上がった。   
◯ 散策の路傍の畑(はた)に父に似る翁来たりて今日も耕す・・・中野次森          

結句に万感籠る。その叔父も母より先に70歳に満たずして亡くなった。短歌という表現手段は日本人の身体に組み込まれていて何かのきっかけで芽を噴き出すのではなかろうか。痛みを我慢しつつ南無阿弥陀佛と合掌しながら息を引き取った祖父の「感動的な最期の瞬間」(と母は言う)をどうしても言葉に残したいと母も自力で必死で1首詠んでしまった。
◯逝くときに御仏信じ喜べと父が遺せし念仏の声 ・・・花田トキ

とれたての芽キャベツ
呼吸クラスで一緒のお嬢さんが芽キャベツを下さった。農家の方から自作の野菜を直接買ったとのこと。芽キャベツ!思い出のいっぱい詰まっている芽キャベツ!英国にいる時イタリア人の友が大きな袋入りの冷凍芽キャベツを買って来てよく食べていた、主食なしで芽キャベツのみだったりした。私も彼女の影響で大好きになった。日本で一回冷凍ものを食べたが水っぽくて味そのものが感じられず以来芽キャベツから遠ざかった。
いただいて嬉しくて!取れたてのものを肉、魚の味で汚したくなかったので昆布だしにした。炊飯用の厚い土鍋でじっくり出汁をとった。結局は味噌汁になってしまったが昆布だしは薄味で十分においしいので芽キャベツの苦さ、ピリッとした辛さもたっぷり味わった、色も鮮やか。取れたての命の濃いものを食べると直接身体がものを言う感覚。あ!写真撮ればよかった!が、気づいたのは食べ始めたあとだった。