母とともに(鹿児島)

祖父の続き(叔父と母の短歌)

母が一首詠む
亡くなるまで痛みに顔を歪めながらも念仏していたいう祖父を母は詠んだ。この感動的な様子を何とか残しておきたい一心だったと今でも言う。三十年以上も前のことである。

《 逝く時にみほとけ信じ喜べと父が残せし念仏の声 》

それに触発されたのか数年して叔父も何首か詠んでいる。ある時博多で乗り換える新幹線のホームに義叔母が来た。叔父が作ったという歌を書いた紙切れを持って。5・7・5・7・7の中の5の部分がそっくり空白になっている。どうしても五文字が出てこない、どうしたら良いか、手伝ってくれ(?)という事らしい。

いろいろ叔母に尋ねると、泥に汚れボロボロの軍手をして腰の曲がった爺さんが毎朝一生懸命畑仕事をする姿が祖父に重なるという。「亡父に似る」が思いに添うと思った。決してうまくはないが結句に万感こもる。叔父も喜んだという。

叔父の一首
《 散策の路傍の畑に父に似る翁来たりて今日も耕す 》

父は60歳で母方の祖父より少し先に亡くなった。温厚、無口だった父の声はぼんやりとして薄い、一方祖父の声はいまだ朗々として必要なとき力となってくれる。言葉が声として言霊となり身体に沁み込んでいるかの様である。

声の不思議を思う時いつも祖父の声を思い出す。それもそうかも知れない。母のお腹の中ですでに祖父の読経の声を聞いていたに違いないのだから。