『硝子戸の中』(2)
朗読の練習をしたところは六、七、八の、『硝子戸の中』で最も好きな部分だ。「私はその女に前後四五回会った」で始まる。訪ねて来た見知らぬ「女」が、「これまで経過して来た悲しい歴史を書いてくれないか」と漱石に頼む。「女の告白は… もっと読む 『硝子戸の中』(2)
朗読の練習をしたところは六、七、八の、『硝子戸の中』で最も好きな部分だ。「私はその女に前後四五回会った」で始まる。訪ねて来た見知らぬ「女」が、「これまで経過して来た悲しい歴史を書いてくれないか」と漱石に頼む。「女の告白は… もっと読む 『硝子戸の中』(2)
夜、3回吐く。何年かに一度あることだからいいけど、吐くと粘膜を傷つける?声帯ではないけど口、喉がヒリヒリする。来週土曜日のコンサートには最良のコンディションで…と気をつけていたのに。 夫が会社からインフルエンザをもらって… もっと読む ストレス?それとも
多くは読んでいないけれど、日本人作家の本で、『硝子戸の中』は今思いつく範囲では、もっとも心打たれた一冊かもしれない。 漱石の言葉はぐいぐい身体に入り込んでくる。そうそう、そうです、そうですと無言の相槌を打ちながら読める。… もっと読む 『硝子戸の中』集中して読んでいたころ
箱根山の下を通り早稲田へ。天気がいい、漱石公園に行こう。『硝子戸の中』への思い入れを書き始めるとまたまた迷走するに違いない、余計なことは書かないことに徹する。 横がお店なのでこういう写真。小倉酒屋のすぐ横。 漱石の父が自… もっと読む 漱石公園
指揮者大野和士へのインタビュー、「演奏家は肉体的な動きと連動させて表現していく、さらに指揮者は「それを『音』ではなく『振り』で表現します」「コミュニケートの手段としての『振り』は」「もはや言葉の次元ではなく『人間であれば… もっと読む 言葉の次元を超える「振り」の表現
指揮者って究極は身体表現?そして身体表現は人間の原初的な喜びであり感動に違いない。 いつもの合唱指揮の先生に、「指揮者の卵」として紹介された青年の振る「Sanctus」に強くそう感じた。骨の髄まで食い込んできて、その「気… もっと読む ヴェルディ「レクイエム」(2)
28日は旧正月。中国では春節、そしてこの日は新月だ。新月で新しい年が始まると思うだけで何かが弾む。ほとんどの行事は旧暦と季節感が重なる。「初春」の「慶び」も実感としてある。 下の写真はシニア活動館に貼ってあった。説明書き… もっと読む 春節が懐かしい
1月25日(水曜日)の夕日。冬至の夕日の位置は都庁よりさらに北より?(方向音痴?常識が足りない?)になるが、だいぶ位置がずれてきた。 木曜日。あ!とこの猫に出遇い、お久しぶり!と声をかけてしまった。通じると感じ嬉しい。ン… もっと読む 凹んで凸
いちよう。いい言葉だ。引き出しからこのハガキが出てきた。消印は25年7月。中野先生が、今月の歌は良いと葉書に書いて送ってくださったものだ。ずっと忘れていた。海。海の近くで育ったからか、無性に海を見たくなる時がある。 《 … もっと読む 歌のある一葉
先週、母みつえさんがタイルにつけてしまった、「ウンコ」を拭いているペコロス。それをじーっと見つめているみつえさん。「何ばしよっと?」(何をしているの?)と聞いている。 「母の記憶は頭から拭き取られていった」。 みつえさん… もっと読む 「ペコロスの陽だまりの時間」あれこれ(7)
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