変化するにちにち, 詠う(短歌)

山本雅子『一莖の草』の周り

⬆️品川に住んでいた山本雅子、高輪でトンボが止まってくれた❣️

長年「好日」東京支社の重鎮であられた故山本雅子さんの歌集『一莖の草』について、好日誌「叢書さんぽ」(10月号)への寄稿文です。

会いたくても会えなかった彼女の晩年に想いを馳せながら、、、(書ききれるものではありませんが)心を込めました。

好日叢書 第四十三編  山本雅子第一歌集『一莖の草』

『一莖の草』。まず本を布で包み、押し頂くように拝す(山本さん、お会いしたかった)。

作品は昭和二八年から四七年(一九五三年から七二年)迄のもので一九七四年一月発行。私は好日に入って間もなく東京にも来たばかりで、歌集出版後の山本さんしか知らないがその後四半世紀、九十過ぎまで東京支社の師であられた。それ以上にまっすぐな言葉、生き方に魅了された。

歌会では常に言われた、辞書を引きなさい。鑑賞ではなく批評せよ、上下は無い、率直にと。風通しが良かった。一首に多くを言わず、どうでもいいことを詠わず、事実より真実をと言われ、穏やかな語り口からは想像できないが確たる信念を感じた。
歌が作れなくなり自宅を去られたと聞いたが、東京支社の誰一人会うことはできなかった。

〇向かひ合ひて胸の高さになりし子のなほ肩先のをさなくやさし

子を詠んだものは数首のみだ。「生ひたちをあかして産まざる母なりしわれを羞しむ子を前にして」「血を傳へぬ母に注げる子の視線憐れみありき言葉すくなく」。この雰囲気、推して知るべしの感。多くは詠めなかったのだ、「沈潜」するのは当然であろう。

〇甲高くくだけしコップの小氣味よさ直截にわれも聲にあげたし

〇あをみどろの水面はたえず呟きて輪を描き消しおほく語らず

〇わがうちに花ぱつと咲け大甕に朴の白花の大枝を挿す

〇除草薬撒かむわたくしのしたごころ麥藁帽子まぶかくかぶる

〇山菜の一束のみどりわれにくるる山菜採りは言葉すくなに

生命への敬意が滲み出るような最後の歌に今も鮮明な光景がある。歌会の帰り道、目黒川沿いの陸橋で蹲っているホームレスが目に止まった。
山本さんは咄嗟に鞄を探りサンドイッチを差し出されて「まことに申し訳ないことですが、年寄りが欲張って食べきれないほど買ってしまって、この年寄りを助けると思って受け取っていただけませんか」。
嫌味の一点もなく澄む声に、「ありがとう」と相手方は深く頷かれ頭をさげられた。双方が美しかった。

〇ひとり居の山の日暮は時計さへとまりてわれは一莖の草

〇ゆきずりに車をとめし人も往き古りし石佛にすすき穂の風

〇人跡未踏といはむ濕原ゆゑ聲あぐることも冒瀆に似る

〇そばだちて樹骸はしろく天をさす無韻なるゆゑかなしみ至る

米田登先生は「何を歌われても山本さんの素顔は一首に刻みつけられ」「こんな自在な境地をもたらしたものは[略]もっぱら沈潜を深めてゆかれた結果なのである」と序文で仰る。最後の一首は序にはあるが歌集にはない。登先生が序を書かれる時に、更に「沈潜」する直近(七三年)の歌を入れてくださったのだとしか思えない。

凄いのは、内面の奥まで可視化できる具象の用い方、相乗効果をもたらす言葉の繋ぎ方、心の機微を表す所作、奥行きのある言葉が歌集の随所に見られ、豊かな精神世界がある。その大切なものを、、私たちはもしかして失ってしまったのでは、、と感じる。

享年は一〇七という。今も声が聞こえる。

山本さん宅で私が愚痴を言ったのだろう。「そ・ん・な・こ・と(…)お・わ・す・れ・な・さ・い」。ゆっくりゆっくり一音一音、声になさった言霊、何が大切かを教えてくださった。

大樟を戦がせて今も「音なふ」山本雅子さん、ありがとうございました。合掌。

「好日」2025年10月号より

*足した一言があります。「辞書を引きなさい」は、10月の東京支社歌会で〈いつも言われた〉とYさん(Yさんはそれを支社歌会で毎回言ってる😌)。

(あ!大切な言葉を忘れていた😯)と気づき挿入しました。

長い拙文を最後までお読みくださりありがとうございます😊