変化するにちにち, 詠う(短歌)

中野照子先生追悼文

「好日」4月号が届いた。中野照子追悼特集号である。400字以内ということで私も書かせていただいた。しかし自分の文なのに読みにくい。

もちろん長ければ思いが伝わるというものではないが、あれもこれも書きたい思いばかり溢れて、詰めて詰めて、はしょって端折って書いたものだ。書ききれない。

少し言葉を変えてできるだけ分かりやすくしたつもりです。

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中野先生、初めてお訪ねした日、あ!花ちゃんと駆けよって来られました。強い風の中いつ迄も見送って下さる橙色のカーディガン姿の先生。

母の介護帰省の折に平口さんとお訪ねする度に、手元にある辞書を話し乍ら捲っていらっしゃいました。「今三首できたわ」とノートを見せて下さった事もありました。

お土産に桂川土手で失敬した菜の花に笑い合った、ローズマリーの香を先生の髪につけて差上げた事もありました。

〈今まで何をやってたんだろう〉と言う私に「何をやって来てもいいの、今からやればいいの」「これから長く生きるでしょう、今勉強するのよ」とおっしゃった。

先生ご自身の歌には、「どこに載っても読んで貰えればいいの」と謙虚、清々しい。最後まで歌人でした。

昨年五月、先生の両手を、又来ます又来ますからと今迄以上に精一杯握りました。互い予感があったのでしょうか。エレベータ前で振向くとまだ手を振っていらっしゃいました。     合掌

《ふりむけば手振りいましきそしてまだ振りていましき今も振りいます》

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