10時半頃に行くと母は、「もいっき、めいの時間じゃっで、うったっとっとよ」(もうすぐ、ご飯の時間だから、準備しているのよ)と、靴を履いてベッドに腰掛けていた。
皆で揃っての食事が、「たなしゅんじゃっ(楽しみだ)」「といなむん(歳の者)じゃっで歯が合うで」と声を弾ませる。
母は、朝来てくれたいもうとに、「おまいだんの、こいとごれ入れっくれでおおきにじゃった」と礼を言っている。
3人だと笑っていなくても賑やかで明るくなる。
いい天気。〈ママちゃん〉まで歩く。駅の近くから、人の背丈より低い昔の防波堤と公園(?)、草地になっていて歩くと気持ちがいい。
防潮堤よりも海寄りにある
ここは国立療養所があったところ?
根を見たら、、、やっぱり、アコウの木。
見るからに生命力が強そう。
国道3号線よりも海側を歩いているうちに、阿久根小学校下の大きな公園に出たら、初めて見るものばかり。いっちょんしたなった。
明朝からの亡命者は多かった?小石川後楽園を作った朱舜水も明朝からの亡命者だったような、。
江戸時代初め?大火が続いた阿久根で火止めの祈祷を行った空順法印像とある
コメントを投稿するにはログインしてください。