変化するにちにち

31日①:肥後細川庭園まで

せっかくの花の季節、出かけよう。夫は中国へ桜の写真を送るために朝は神田川方面、午後から千鳥ヶ淵へ(先週も行った)きれい・すごいを発しながら出かけていった。

ならばわたしは神田川へ。早稲田を抜ければ近い。よく通る大隈講堂へ行く道、南門通りというとは知らなかった。ランプの上にローマ字あり

ユニカフェの横を抜けて少し歩くと神田川。枇杷の実がなんとも。ひかりといのちと・・・

橋を渡り右に行くと関口芭蕉庵、行きたいがこの人混みでは・・・

関口芭蕉庵の屋根が見える。橋の上から写す

水神神社と大公孫樹。台風で公孫樹が倒れて鳥居の笠木が折れて新しく作ったと書いてあったが、何年かは頭には入らなかったようだ。笠木なる言葉もはじめて知る

肥後細川庭園。今までは閉まっていた通りに面した門から今日は入れた。石蕗がいっぱいあって懐かしい。流れが自然に見える

まるで実家付近に居るよう

肥後椿と書いてあった。肥後・・・と名のつく木がまだあったが

ししおどし・獅子脅し?ほとんど聞こえないような音だった

これは何のために・・・、瓦を縦にして埋めてある?

水琴窟。竹のところに耳を当てるとよく聞こえる

以前は裏庭のように湿っぽい感じのするところも、緩やかな線で段々に石を置いて(円形劇場を半円にしたよう)腰掛けられるようになっていた。石に腰を下ろす人たち10人20人・・・

四阿ではなくても、木の椅子、テーブル、石などあちこちで休むところがあり以前よりも広々としている

細川護熙氏の揮毫と入口脇に書いてあった

ここからさらに神田川沿いを面影橋方面へ歩いてみる・・・