変化するにちにち

兄の祥月命日

一周忌法要は年末に行われたが、5日の祥月命日にも呼ばれた。わたしは覚えていないが兄は小さい頃、何年か祖父母と暮らしていたらしい。

祖父は、「隠れ念仏」の裔としての誇り高い人だった。その祖父の影響か、兄も身内の月命日にはお経をあげていたようだ。

去年は、目の前に遺影となっている兄への強い違和感があった。悲しみとは裏腹に、一年経ってそのような違和感が少し薄らいでいるとの思いもまた真実。

受け入れ難さに大きく振れたり、傾いて不安定になったりしながら、時の経過にしたがって鎮まりゆくのだろう。

義姉や姪たちとの話は楽しい。ときどき兄の悪口も言って笑ったり、涙ぐんだり・・・はじめて体験する不思議な感覚。

いつも、不思議不思議と書いているけど他に語彙はないの?と自らに突きつけるなんてことはしない。だって不思議に満ちているのだから仕方なし!と内田樹なら言うに違いないと豪語して元気になる。