変化するにちにち

「懐かしさ」「切なさ」

・・・秋・・・

「懐かしさ」「切なさ」について、ハカセ曰う(福岡伸一著『生命と記憶のパラドクス』文春文庫)。

懐かしさ、「あの頃そのものが懐かしいのではなく[…]あの頃の自分が懐かしいのだ」、「つまり懐かしさとは自己愛の一種なのだ」。

切なさ、「これらはいずれも移ろいゆくものの記憶なのだ[…]すべての移ろいは一回限りのものとしてある」、「つまり切なさというのは有限性の気づきである」。(190、191頁)

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今は昔、「歳月人を待たず」の漢詩を板書、丁寧に説明された先生がいた。この懐かしさも自己愛?そうだとも思えるし、それだけではない気もするけど、、、。

ニュアンスに違いはあっても、母の介護で故郷に帰るたびに、懐かしい、切ないの両方を実感する。しかし、「懐かしさ」より「切なさ」のほうが、「年年歳歳、歳歳年年」(誰かの漢詩にありました)重くなっていく。

夏の暑さの中では到底しない、できないであろう〈ものを思う〉ことを、秋のこの空気感がやらせているのだ、きっと。いつのまにか〈ココロ〉は、気候などを感じる〈カラダ〉に、いとも簡単に従っている。

森の径〉の彼岸花、あちこち咲きはじめた。

蚊に刺されながら撮った。覚悟はしていたけど異常な痒さ・・・