変化するにちにち

長兄の四九日法要

大田区内であった。姉、次兄そして弟と4人が、〈揃う〉のではなく、〈集まる〉が今の心に相応しいだろうか。長兄がいないことがまだ不思議で落ち着かず、強い違和感がある。儀式は生きている者のために、死という事実を受け入れるために必要かと思う。

せっかくの上京だ、4人で築地本願寺に泊まることにしていた。若干狭い感はあるけど、明るく清潔で居心地良い部屋、そして驚くほど安い。

お酒もお茶もよく飲んでよく喋ったせいか眠れなかった。翌日午後、帰りの電車のなかで、悲しいだけではない諸々の感情がまたあふれだす。

この感情を無理に抑え込まずじっくり味わいたい、まっすぐに帰らずにカフェに入って、外が見えるカウンター席にゆったり座る。チャイがおいしい、泣けてくるが静かな大切な悲しみ。もう帰ろうと思えるまで十分に内面と向き合う。家に着いたら思った以上にうまく切り替わっていた。

アスハガッショウ!アサッテハレッスントガッショウ!ウタガアッテヨカッタ!❣