白川静先生の漢字の世界

白川静先生の漢字の世界(2017年11月)

白川静 先生のツイッター、@sizukashirakawaより抜粋、転載しています。

【 私はしばしば漢字学者として紹介される。しかし私の本心は東洋学者として紹介してほしい 】

11/30
*うん、夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね。

11月28日
*世が乱れてまいりますと、あまりはっきりと作者が名告って批判をするということができなくなります。そういう時代に、童謡が生まれた…この【童】というのは、強制労働に服している、いわばなかば奴隷に近いような人々であります。

11/25
*【風】は風神によってその地域にもたらされる天の気であり、その地域の風土性も、人の気質も、みなそれに影響され、形成されるものと考えられた。人は【いき】によってこれを摂受するのである。

11/23
*ことばの応答のときは【答】【対】を用いる。【答】は【合】声。古くは【合】の字を用いた。[左伝 宣二年]「既に合(こた)へて来り奔(はし)る」とみえる。【合】は器と蓋とが相合する形である。

*犬牲は多く自然神、それも天上の神々に対して用いられるものであるから、灼くことを原則とした。【然(もえる)】は犬肉に火を加える形で、のち【燃】の字を用いるが、もとは犬牲を灼く儀礼をいう字であった。

***【暦】というのは、【厂】は山の崖のようなところ、そこに軍門がある。この軍門の形はわが国の鳥居の原形になるのですが、この両【禾】の形を軍門とか墓とか、神聖な場所の入口に立てる。これがどこを経由してきたのかわかりませんが、のちにわが国にきて鳥居の形となり、神社の前に据えられた。

11/20
*【邑】が武装すると【或(くに)】となる。聚落を示す【口】を【戈】で【戍(まも)る】意であり、また地を【域(かぎ)る】ことをいう。のちさらに外郭を加えて【國】となった。

*旅行くときに「隈も置かず」[万九四二]、「隈も落ちず」[万二五]思いつつ行くという表現が多いのは、そこがただ曲折の場所であるというだけでなく、道ゆく人の思いの残るところとされるからであろう。【峠(たむけ)】と同じ意味をもつところである。

*【樂】手に持ってうち振る鈴の形。楽に音楽の意と悦楽の意があり、古い時代にシャーマンがこれを振って病を治療した。その快適の状を和楽の意に用いて、金文にも[王孫遺者鐘]「用て嘉賓父兄を楽しません」のようにいう。もとは神を楽しませ、神が楽しむことをいう字であった。

*【いき(気・息)】呼吸すること。【生き】と同根の語。【氣(い)】を語根とするもので、【いき】【いぶき】【いのち】【いきほひ】【いかる】【いぶせし】など、みなそこから分出する。

11/18
*【口(サイ)】は祝詞を納める器である。 その器の中に神の「音なふ」しるしが現れるので、その蓋を少し開いてみるのが【曰(えつ)】である。【曰(いわ)く】とは神の示す言葉であった。それで【曰】は「のたまはく」のように、敬語に読むのが本義である。

*例えば、病気になったという場合にね、大河の流れの凄まじい姿だとか、海の波打つ姿だとかね。花の咲き乱れる姿だとか、こういうものを文学的に色々美しく歌い上げる。それによってその病気を治すというやり方があるんですよ。これが【賦】の文学。

11/16
*【鹿】を神獣とする観念は殷周のとき以来のことであるが、ただ漢以後の【麟】の図様には、羽翼を加えて羽翼獣とする観念があり、これは西方の天馬など神獣の観念と合して生れたものと思われる。

11/13
*【高】おそらく神を迎えて祀るところで、のち祖霊の最も貴いものを【高】とよんだ。わが国でも【たか】は神聖のものをよぶときの美称に用い、必ずしも高低の意のみではない。古くは対義語をもたない絶対のものが【たか】であった。

*【道】はもと神の通路であった。その【道】が王の支配に帰したとき、神の世界は終わった。王がそのような支配を成就しえた根拠は、神に代わるべき【徳】をもつとされたからである。しかし【徳】は人によって実現されるものである。神の【道】と人の【徳】とは、本来はその次元を異にするものであった。

11/11
*大学で出席をとりますときに、名簿はみなカナタイプで打ってあった…それで何回読みましても、その人間と結びつかんのです。名前を読んでも、人間の顔が出て来ないのです。私は元の漢字に書き直します…それで出席をとる。そうしますと、名前と人間が合体するんです。

11/10
*【さと(里・郷)】山や野に対して人の集まって住むところをいう。人里・村落の意。【さ】を狭小【と】を処・戸の意とする説もあるが【さ】を霊【と】を座とする高崎正秀の説がよいように思う。すなわち【うぶすな】の地である。【さと】は守護霊を斎く場所を中心にして営まれる生活の場をいう。

*歌が個人の詠懐的な、自己内面の世界にとじこもる以前には、歌うこと、それに表現を与えることに何らかの呪的な性格を伴うのが、つねであった。

11/7
*【帝】神を祀るときの祭卓の形。【示】も祭卓の形であるが、【帝】はそれに締脚(くくった足)を加え、左右より交叉する脚を、中央で結んで安定した大卓をいう。最も高貴な神を祀るときのもので、その祭祀の対象となるものをもその名でよんだ。

*一般に【右】を正として尊び、【左】を邪は悪として卑しむ観念をもつ民族が多く、わが国の左右の観念はやや異例に属する。あるいは【ひだり】は日出と関係のある語で、日神の崇拝に連なるものであったかも知れない。

11/5
*[万葉]の歌に「見れど飽かぬ」「見る」「見ゆ」というように視覚に訴えていうものが多いが、それらは視覚を通して存在の内奥の生命にふれようとする、呪的な魂振りの行為であり、それは山川草木をはじめ、およそ存在するもの、生命感情の移入しうる一切のものに及んでいる。

11/4
*この講話(文字講話)をやろうと提案したときには、私は八十八歳でした。主催の文字文化研究所の理事たちがみんな笑ってね、「大丈夫ですか」と(笑)。私は「これは神様に約束をするんで、あなたたちに約束するんではない。神様に約束すれば、神様はわかっていただける」と答えました。

11/1
*神のささやきは、おそるべきものであった。しかし人のささやきもまた、呪詛に似ておそるべきものがある。